無意識日記々

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日本語歌の中心は歌

ヒカルが10年ほど前にさだまさしに注目していたのは、彼がまるで喋るような自然さで日本語の歌を歌っていたからだろう。実際、フォークギターを抱えながら軽妙なトークで笑いをとりつつそのままの流れで歌に入っていく巧みさは誰にでも真似出来るものはない。「15歳の小娘が『いつお泊まり?』ってどういう教育をしてるんだ、こいつの親の顔が見てみたい、と思ったら藤圭子だった」みたいな鉄板のネタの名調子からそのままメロディーが流れてくる。日本語が喋りとメロディーを仲介しているともいえる。

奇しくも、でも何でもなく、その頃のヒカルはギターを抱えてBe My Lastを作詞作曲、ギターの弾き語りにまで挑戦していた。EXODUSから帰ってきて久々の日本語曲という事で取り分け歌の中の日本語の位置付けについて考える時期だったのだろう。さだの言葉と音符の選び方と合わせ方は大いに参考になった筈である。彼も井上陽水藤圭子同様、70年代に年間トップクラスの特大ヒットを飛ばした天才で(普段の親しみやすさからすると奇妙な形容だけれどな)、やっぱりヒカルは似た境遇というか共鳴できる人間に敏感である。

繰り返し書いてきた事だが、日本語のポップスは基本的にフォーク・ソングになっていく。というか、日本語ポップスの基本はフォークである。パンクをやってもラップ/ヒップホップをやってもロックをやってもどれもいつの間にかフォークになっていく。パンクバンドが海援隊の曲をカバーしたり、ラップも結局「お母さん育ててくれてありがとう」とか歌ってたし(ギャングスタラップとの彼我の差ときたら…)、GLAYの歌詞なんか完全にフォークである。つまり、サウンドは極力抑え、日本語の響きを中心に据えるのがいちばんしっくりくるのだ。ギター一本の弾き語りで済んでしまうというか、煩わしい音の数々は要らないのである。

その点を踏まえると、ヒカルの場合どちらかといえばギターで作曲したBe My Lastより、珍しく歌詞が先に出来てあとからメロディーをつけたピアノ作曲の誰かの願いが叶うころの方が更によりフォーク的であったといえるだろう。日本語の響きを中心にしてシンプルにピアノの伴奏だけでサウンドを構成する。確かに、いつものヒカルのバラードとは異なる静かなメッセージ性が感じられた。

あれから11年経つが、またこういったフォーク的アプローチの曲が聴ける事はあるのだろうか。まず、日本語の歌を作るかどうかという所から始めなければいけないし、英語のレパートリーの中でもAbout Meのようなフォーク的アプローチの歌もある。Hikaruのもつスペクトルの広さからすると数あるバリエーションの中の一つでしかないかもしれないし、国際的展開を望む/臨むのであればあまり賢明なアプローチとはいえない(日本語がわからないと何が面白いのかさっぱりわからない)けれど、アルバムの中に一曲くらいピアノかギターでの弾き語り曲があったら嬉しいなって思ったりもするのであった。ライブも楽しみになるし。