無意識日記々

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休みの日の朝の独り言

信頼、と言ってもそれが何を指しているのか自分でもよくわからない。曲なんて作ってみないとどうなるかわからないんだし、ヒカルはいつも(ってその言い方酷いな)働き過ぎて倒れるし、具体的に何をどう信じているのやら。たとえ音楽を辞めたいと言ったとしても「じゃあ次は何をやるんだ、小説を書くのか、絵を描くのか、本屋でも開くのか」っていう反応を私はするだろうし。唯一、何かあるとすれば「雲隠れしないで欲しい」という要望だが、正直今までマスメディアと大衆が齎してくれやがったストレスを考えると、そういう決断をされても仕方がないかなぁ、と大衆の一員として思うし。いやそりゃ嫌ですけどね、無理強いを主張出来る程の何かをこちらがしてきたかといえば、押し黙るしかなく。一体、信頼していると言っても、何についてなんだかわからんのだ。

抽象的には、宇多田ヒカルを崩さないでいてくれる事への信頼、なのかもしれないが、ヒカル自身が5年前に「自分自身を大切にして欲しい」とメッセージを置いていった事を考えると、彼女自身も自分自身を大切にする事の難しさをよくわかっている、ので。難しいというのは、出来たり出来なかったり、或いは、全然出来なかったり、という事だから。

はて? では、私は、何だ、光には生きていてくれる事の信頼を託しているのかな? これもよくわからん。お互い、いつ死ぬかなんてわかったもんじゃないという感覚、そして、それの裏には、死ぬであろう時には予めそうとわかるかもしれず、そしてそれを周囲には黙っているだろうという予感を持っているだろうから、なんだろう、今年の誕生日、『「人生ってけっこう長ぇな…」と思った』と言っていたのだから、そうね、もう32歳っていうとそんな感覚かもねと妙に同調してしまっているし、信頼というのはつまり「『未来はわからない」』という共感の名前かもしれない、と今思った。

とすれば、信頼というのは生きている事ですらない、か。生きていた事と生きてきた事に対する賞賛なのか。それだけでもないような…追い求めれば追い求めていく程にわからなくなっていく。

今和英で「信頼」を見てみると、reliance、confidence、trustの3つが並んでいた。またこれ割りやがったな…それぞれ偏らせると、依存、自信、信用だろうか。ますますわからん。広げて3つに割っただけだもんな。

ふぅ。とすると、何だろうか。私は私の話をしていただけなのか。それともただ、Hikaruが今まで与えてくれた実績への恩返しだけで人生が終わってしまえる事への後悔と安心感に名前を与えただけなのか。全く、全然、未々わからん。ただ、彼女を信頼している事だけは確かである。それより強いものを見つけるまではわからないままだ。