無意識日記々

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ギヤホンニツイテ書クツモリガコウナッテシマッタノ巻

春画についてコメントした事で、多分「日本という国は性文化に対して云々」という言説もちらほらあるのではないかと思う。私は、Hikaruの言いたい事の重心は「日本の伝統」の方だと思う。本当の伝統はこちらで、現在においてそれらを勝手にすり替えている人たちに対して何か言いたかったんじゃないか、そうな風な印象をもった。実際の所はわからない。ただ、確かに世の中には本当の伝統を追求するより自己主張をドーピングする為にそれが伝統であるかのように言い振る舞う人が居るかもしれない、とは思う。いずれにしろ歴史に対して不勉強は騙される。

私としては興味が無いに等しい。本当に歴史を学びたければ、関わる国や民族総ての、彼らの言葉で書かれた言葉を漏れなく拾い上げなければ"真実"に辿り着けない。何が難しいって、恐らく、より真実に近付く為に必要なのは敗れ去っていった敗者たちの語る歴史であり、彼らの言葉は敗者であるが故に抹殺されてきた事だ。即ち、本当の歴史は途絶えた血統と言葉の向こうにあり、勝者たちの言葉しか届かない現代で幾ら足掻こうが殆どが無駄である。つまり、テーマの重要性に対して恐ろしく手間暇のかかる課題だという事だ。追うのを止めはしないが、そんな事よりちゃんと電磁気学を学んで、出火のしないコンセントの管理の仕方や、イオンと名のつく虚偽満載の売り文句に引っ掛からないリテラシーの育て方など、先にやるべき事は幾らでもある。そういった"基礎"が出来た上で、今さっき述べた"真実の歴史への険しい道のり"を追い求めたければ、どうぞという感じである。遠いぞきっと。

それより私は「ONE PIECE」を読む事を奨めたい。歴史の真実に向かうには人生そのものを捧げる必要があるが、こちらを読むには恐らく全巻で10万円もかからないだろう。全200巻だとしても9万円以下だよね。安い。勿論まるごとフィクションだが、それは宗教の教典と同じだ。そこに歴史的事実も真実も無いが、歴史に対して人は何を求めそこに何を見るかについて、非常に多くのキャラクターがかかわって様々な視点を提供してくれている。本当の歴史を知る事は出来ないが、歴史をかたる(語る/騙る)者についてどう対応すればいいかを考える為のサンプルには困らない。最も、そういった点に関して尾田が本領を発揮するのは100巻過ぎてからだろうが。(現在77巻)


それが私の「歴史観」である。真実を追い求めるには未だ人類は非力過ぎる。放射線傷害の健康被害についての本当のデータに辿り着くのすら難儀なこの国、今という時代に果たして昔の本当に辿り着けるのかは甚だ疑問だ。最も、遠くだからこそ真実はシンプルだという事も出来る。稲作は生き残った。なぜなら今日も我々はご飯は食べれているからだ。これは歴史の真実だが、辿り着くのは簡単だ。そういったものを沢山見つけられるというのなら、チャレンジしてみる価値もあるだろう。でないのなら私はフィクションと自然から学ぶ。人の業はフィクションの方が正直でわかりやすいし、自然は常に最高以上の教科書だ。雪の結晶の美しさの前にはどんな人間の騙し合いも虚しく映る。人の心はシンプルなのだ。

雪の結晶並みの美を作るのはアーティストとしての力量がかなり必要になるが、我々の好きなアートは多くの人が再現できる。それはシンプルなメロディーであり、我々の多くは鼻歌を歌える。音痴だろうがなんだろうが、口遊んでいる時は気分がいい。素朴だが、これ以上の真実はあるまい。誰かの鼻歌になる事こそ私は「歴史に名を残す」事だと思う。望まれて歌われた歌の魅力を、今我々が歌って感じられるならば、その歌が歌い継がれてきた歴史は正当化される。我々ひとりひとりの「私」がその歌を愛するならば。歴史よりもフィクションよりも自然よりも、それは確固たる真実だろう。何しろ歌は何一つ出来やしないのだから。赤ん坊のように、愛するに足る存在なのだ。歌は。