無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

未来だらけの人生

喜びは兎も角、驚きについては特に何も無い、というのがここの読者の感想ではないか。あれだけヒカルも照實翁(晴れて"おじいちゃん"ですなぁ)も匂わせるような事を呟いていて逆に何も無かったらこっちが気ぃ遣いまくってしまうわ。よかった、よかった。

結局、焦点は「いつ、どこで、何まで発表しながら進んでいくか」という所だった。で、結果としては、「妊娠は一切発表せず」「出産は発表した」という組み合わせとなった。タイミングについてはわからない。私の感触では今「生まれてすぐ」な気がしているのでそのつもりで書いているが今生後1ヶ月位でも話の辻褄は全然合う。まぁそこらへんも、どこからどこまで公表するかはヒカル次第だろう。任せた。

何しろ、ダヌパくんは今の所我々と何の関係も無い人間だ。ヒカルの所は父も母も前夫も顔出しで"仕事仲間"だった為我々も錯覚しがちだが、家族だからといってその人の"すること"を我々が知る必要は全く無い。キコですらただの一般人なのだから、その未成年の子となるとその情報をどこまで伝えて貰えるかについて我々が言える権利はどこにも無い。

勿論、ヒカルに対して態勢を提案する事は出来る。それは私もまた歓迎である。例えばツイートで、例えばメッセージで彼についてどういう所まで公表する事が彼の人生にとっていいことであるか、よくよく考えなければわからない。残念ながらヒカルが有名人である事に変化は無い。その事実について、どういう対処が必要か、或いは全く必要が無いか、よい視点の提案があれば積極的にヒカルに発信するのがいいだろう。

普通に考えれば、マスメディアを使って商品の宣伝をするヒカルについてはヒカルの私生活の情報等で興味を惹く事が何らかの効果(或いは、逆効果)を生む事が期待されるが、そういうお母さんに育てられていくからといって彼がメディアに取り上げられて何かいい事があるのか。私は今の所全く思い付かない。

それこそ、彼がテレビに出たいだとか有名になりたいだとか思うような個性であるならば別である。まさに親の七光りを利用して名前を売るのはそんな彼の人生にとって大きなプラスとなるだろう。しかし今の彼はただの乳飲み子。カタカナで書くとチノミゴ。なんだかカルタゴの隣あたりにありそうな雰囲気。いやそんな話は要らないんだ。まだ赤子の彼の話を我々が共有するメリットは今のところ全く無い。

ヒカルが好意で「幸せのお裾分け」をしてくれるなら、それはもう有り難く嬉しく頂戴させて貰うが、それはもう120%ヒカルの好意でしかないのであり、あれの話をしないだとかこれの話をしないだとか不平を言うのは、自由だけれども、筋が違うんじゃあないのかな、と思う。今回の発表だってヒカルの好意だ。ずっと黙っていたとしても何の問題も無い。音楽家がプライベートの生活について公表する義務なんてある訳が無い。

プロモーション戦略上、これくらいの話までなら公表した方がいいんじゃないのかな〜、という判断はあるだろう。今回は、繰り返しになるが「妊娠については一切触れず」「出産については公表した」という"程度"の発表となった。この程度の加減は、しつこいようだがキコとヒカルがダヌパくんに対して責任をもって自由に設定するべきなのだ。


そこまで堅苦しく考える必要も無いんじゃないかなぁ、ほら、そのうち「宇多田ヒカルの育児日記」なんてものを発売したらきっと売れるよ、日本語とイタリア語と英語の3ヶ国語が飛び交う家庭で男の子が育っていく物語だよ、みんな興味あるよ〜…だなんていう風な御意見も容易に想像できる。いや私もそう思うもの。しかし、それもやっぱり「キコとヒカルの勝手」である。ニーズが大きいと判断して、リスクが極めて小さいと見積もれたならばそういった企画もアリだろう。だが我々が家族の自由を奪うような圧力を掛けてはならない。言論の自由について前に書いたように、「自由は、お互いの自由を尊重するという約束が成立された時に尊重される。」のだ。まだ何も出来ない赤子の未来だらけの人生における自由を真っ先に奪うような行為は、たとえ親であっても許される事では無い。平和な国に住む人間として最低限必要な態度である。皆々様、是非心に留め置いておいてくださいな。