無意識日記々

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聴衆と衣装

LIVEのPAがあんまり進化してない間でも、映像面は着実に進歩を遂げている。ライティング・システムや大型スクリーンだ。結局、この20年は、ガジェットからコンサートシステムに至るまでサウンド面では目立った前進がみられず、視覚面は順調に推移してきたという事か。

ヒカルの場合、視覚面でのアピールは元々さほど期待されていない。ソロシンガーだし、バックダンサーを大量に引き連れてくる訳でもない。"観に来る"人も大概が「実物の宇多田ヒカルが見てみたい」とやってくる。現実には大抵豆粒でしかみえず大型スクリーンのお世話になるのだが、取り敢えずそこで「大いに楽しませてみろ」とはならない。あとは歴代の大ヒット曲をイメージ通りに歌ってもらえれば満足なのだ。

こういう人は、つまり、生き難い。でも、ミュージシャン冥利に尽きるともいえる。歌のクォリティーだけで万単位の人間を楽しませられたら大したもんだ。

WILD LIFEはその点、集大成的に、まずド派手な衣装で登場し、アンコールの頃には極々カジュアルな格好になっているという、いわば広い間口から入って徐々に歌にのめり込んでいけるという構成をとっていて、巧みであった。これはまたもや抽選で聴衆が決まる経緯に影響されたともいえる。純粋に抽選なら、どんな人が来るかわからない。ならばまず視覚的に楽しめるものを見せておいてそこから徐々に、という考え方だろう。うまくいった。

一方でIn The Fleshは、最初っからライブハウスという事で目立ったギミックもなく歌一本で勝負する構成だった。つまり、こういうのは会場のサイズと客層に依る。大きな会場では、いくら我々が「歌をじっくり聴かせて欲しい」と願ったとしてもそれだけでは足りないのだ。ヒカルの歌にそこまで詳しくない人も居る。そういう人たちにも結果的に届くように視覚面を充実させるのは重要である。

同じ大きな会場でも、観客が変われば演出もまた変わる。仮にファンクラブが存在して先行販売で集まった1万人であれば、いきなりTシャツとGパンで現れてもうまくいく。寧ろそれが望まれている。組み合わせの問題なのだ。

…と、こういうシミュレートがまともに機能しないのが今のヒカルの状況である。どれだけ売れるか。本当にわからない。梶さんの今後の舵取りに注目である。…あれ、もしかしてこの駄洒落今回初めて使った? 嘘ぉん…。