無意識日記々

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#とと姉ちゃん反省会タグと悩む?

今週はえらく「とと姉ちゃん」を酷評しているが、本来ならここまで言いたくなる作品は切る対象だ。コンテンツは常に飽和している。つまらない作品に付き合ってつまらない感想を言っていられる程誰の人生も長くない。

しかし、この作品に関しては、理由はどうあれ「最後まで観る(だろう)」と決め(つけ)ているので、内容に不服があればこの日記で遠慮無く取り上げる。通常なら「そこまで言うなら観るのやめればいいのに」と自分に対しても他人に対しても言うキャラなので、こういうのは珍しい。もしかしたらもう一生無いかもわからない。逆に愚痴るのが楽しくなって習慣化してしまうかもわかりませんが。

前から述べているように、「とと姉ちゃん」には美点(virtue)が幾つもある。美麗なカメラワークやアドリブじみた喜劇的なやりとりなどはその代表格だ。今週はそれが見られないばかりか、そういった要素を否定するかのように登場人物が腑に落ちない行動を取り続けている。10週観てきてそれなりに登場人物に馴染んでいる身としては辛い。

「人々の心が荒んでしまったのは戦争のせいだ」と言える展開に持ち込めればまだ説得力はあった。しかし、とてもそうは見えない。環境によって性格が変動するのは自然だが、テレビドラマでそれをやるのならもっと丁寧に描く必要がある。

「少々不評でも、押し切ってしまえばいい」というのもまた心理である。通常の短編ではのび太に対して悪虐の限りを尽くすジャイアンスネ夫も、劇場版の大長編になれば頼もしい味方に早変わり。「トムとジェリー」だって、時期によってトムとジェリーが殆ど殺し合いをするようないがみ合いに終始するバージョンと、2人(2匹か)で力を合わせてトラブルを乗り越えてゆく仲良しバージョンとがある。どちらの作品に対しても、幼心に最初の最初は違和感ありまくりだったのだが、観続けているうちに気にならなくなっていった。

何故か。ただの慣れだ。大した意味はない。だが、慣れる為には観続けないといけない。両方の作品とも"キャラ崩壊"を成した挙げ句の作品が観てて面白かったから画面から離れなかったのだ。「これはこれで、いいじゃないか。」と。そのうち、「寧ろ、仲がいい方が面白いんじゃないの」と思うに至った。両方とも。

つまり、キャラ崩壊だけならまだ致命傷ではないのだ。「とと姉ちゃん」はここから、キャラ崩壊を踏み台にして、新しい展開をみせ、それが今までよりずっと魅力的かもしれない。希望を捨てるにはまだ早い。



私は原作厨ではないので、ドラマが現実の「暮しの手帖」とまるで無関係な方向に進んでくれても何ら問題はない。しかし、他人のブランドを使って人を呼んだのだから、その点について非難が集まるのは致し方ない、かもしれない。12年前に「それやったらなんでCASSHERNの名前使ったんや…」と呟いたような気もしなくもないなぁ。再びデジャヴ。もしかしたらこの2作品は似ているのだろうか。及川光博唐沢寿明が出てきたらますますその匂いが濃くなってゆくのでは…。

何しろ、週90分といえば30分アニメ3本分だから、半年でアニメ6クール分を観れる時間を費やして(犠牲にして)観続けるのだ。この6クールってのはゆるゆりさんハイとまどマギとシュタゲとグレンラガンが観れる分、という風に解釈してしまうと我ながら物好きだなぁと思ってしまうが、最初に主題歌が流れてきた時点で「総て赦す」という気分になってしまうので、仕方がない。それだけでこのドラマがこの世に存在した意義はありすぎる程ある。せめて最後まで観て、素直な評価を与えるのが感謝の形と思うのでした。