無意識日記々

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教えて誰か知らない夢を見る方法

へぇ、浅田真央が引退するとこんなにニュースになるのか。フィギュアスケート最近全く観ないから、実感も何もないんだけど、他人がたくさんざわついているのをみると、それ自体に興味を惹かれる。ちょっとだけ。

成績自体は、特に五輪での成績はパッとしない。スポーツは難しい。柔道の野村のように五輪で滅法強い人も居れば、柔道の田村(現谷さん)やマラソンの高橋(Qちゃん)のように、あれだけの実力がありながら金メダル一個、という例もある。浅田真央はそれに輪をかけて、という事になる。後世の人は成績だけをみて…と書こうとして気がついた。昔と違って、今後はすぐ動画を観る世界だった。それを観れば浅田真央が如何に偉大なスケーターだったかはすぐ伝わるな。心配する事じゃない。

インターネットのおかげで「まだ見ぬ伝説」みたいな話は少なくなった。誰でもスマホ一台で録音録画生配信まで出来るのだから。いや録音録画だけならほんのちいさなレコーダーがあればいい。人から何かを隠しても別にメリットはない。

浅田真央の動画がネットにどれだけ溢れているかは知らないが、フィギュアスケートはフォトジェニックな競技だ。見たがる人も多かろう。彼女の評価が上がるのは寧ろこれからかもしれない。

時々、思う事がある。150年前の人々は「音声や映像が記録できたらなぁ」と夢を追って蓄音機や映画が生まれた(両方エジソンが噛んでいる)が、更にそれ以前の人々はそもそもそんな発想があったのだろうか?と。「音声や映像を残す」という夢の見方を知っていたのだろうかと。特に映像は「活動写真」であって、現実の記録としてみるのはなかなか難しい。時代を千年も遡れば、夢の見方を知らない時代もあったかもわからない。

今。こうやって様々な記録を残せるようになっている。嗅覚や触覚でさえ、化学的データや物理的データの形で再現性を保って記録が残され得る。が、もし今我々がまだまだ「夢の見方を知らない世代」だったとしたら、残すべきものを残さずにそのまま日々を過ごしている事になる。確かに、確認する方法はない。ただただ、今知っている以外の方法で“何か”を残す事が原理的に可能なのだとしたら、気づけない自分がちょっと悔しい。後世の人に「残しといてくれたらよかったのに」と溜め息を吐かれるかと思うと嗚呼。言っても仕方のない事だけど、だからこそ個人の日記に記しておく価値があるでせう。