無意識日記々

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家と星。父はいつも雲の写真。

ITF2010では、日本語で喋ったら日本語で反応が返って来、英語で喋ったら英語で反応が返ってきた。日本語で歌っても英語で歌っても大合唱。ぼくはくまも大喝采。Hikaruがアウトサイダーになれる瞬間がないのである。そりゃ、ホームにしかならん。

想像するしかないが、結婚と離婚を六回繰り返した両親に対して抱いていた大きな感情のひとつに"疎外感"があったかもしれないな、と。つまり、ご両親はいちいち自分たち2人の世界に入って喧嘩していたのではないか、と。なぜか、ただの先入観だが、2人が娘の教育方針に関して激論して仲たがいする様子が想像つかないのだ。もっとこう、"2人の問題"でずっと喧嘩したり仲直りしたりしてるんじゃないかな。

結婚と離婚を六回繰り返す、というと尋常な事ではないように感じるが、自分のようなメタラーにとっては「オジー・オズボーンシャロン・オズボーン」というド派手なモデルケースが居たので案外抵抗がない。その昔MTVの「オズボーンズ」という番組で非メタラーにも有名になった2人だが、事あるごとに破局した復縁したとニュースが報じられてきた。しかし、稀代のキャラクターであるオジーをプロモートし続ける敏腕マネージャーシャロンというイメージは変わらなかった。ビジネスがプライベートを上回っていたのだ。仕事が忙しいって尊いのですわ。

…話が逸れた。Hikaruの両親については憶測はおろか妄想すら難しい。でもついつい、家では喧嘩しててもスタジオで一緒に作業する段になったら2人は共同作業できたりしてたのかな、そこにHikaruが歌入れし始めたら、家に居る時よりずっと「家族3人」になってたんじゃないかな、とそんな事まで考えてしまう。スタジオで寛ぐひかるさんのルーツがそうやって形成されていったとしたら、だなんて。

今は、ダヌパと「日常」を形成しているとヒカル自身がハッキリ言っている。新しい家族。新しいホーム。U3でスタジオに入ったり、ITF2010でステージに立ったりとはまた違う、しかし自分がアウトサイダーになれないという意味では同じな、家。物理的な建築物も勿論必要だが、精神的な場としての家を今持っているとするなら、何だろう、『Fantome』を過ぎてもなお「お母さんの話」が続く現状は、違和感は感じないにしても、「何が歌になっているんだろう?という疑い」が須く込み上げてくる。本当に、そういう段階なのだろうか。

先週ちらっと触れたように、『大空で抱きしめて』の歌詞に『星』が出てきている以上、それが『道』の続編、とまではいかずとも通じるテーマを共有しているのは明らかだし、それが悟られるのまでは想定している筈だ。どれくらいの人数であろうと、一定度のファンは歌詞を読み込んでくるからだ。当然、同じくサントリー天然水のCMソングという共通点もある。

CMソングというと俗物的だが、昨年と今年の企画は実際にヒカルが登山に挑むという意味でヒカルの人生の一部なのだ。その体験自体もまたそのうち(或いは既に)歌詞に影響を与えるような、ね。幾ら周りをスタッフに囲まれていてもそれが個人的な体験になり得ない事は意味しない。

…また余計な事を綴った。『星』が示唆するのが母なのは明白だ。太陽もまた星だからだ。母を太陽になぞらえてるという話は散々してきたしそこは作詞の上でも自覚的だろう。もう少し『Forevermore』の歌詞を知りたい所なんだけどもうちょっと待たないといけないな。親2人と子1人の誕生日を挟みながら新曲が2曲続けてリリースされる今の状況。何を言ってもまたひっくり返されるかと思うと逆に沢山書いておきたくなるな(笑)。常に"今"を記していこう。