無意識日記々

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我々に限っての“時代”がある

まぁ浮ついてるよね。

明日明後日新譜発売で各企画(カクキカク…カ行に強い彼女になったよねぇ…)も明日からとなればそれは浮き足立つ。全然関係ないけどサッカーのワールドカップの日本代表が昨夜未明セネガルと2ー2で引き分けて(乾と本田△のゴール)1勝1分けにした。前のコロンビア戦からして視聴率50%て国民の半分見てますやん。そら国全体が浮かれるわな。

SONGSの視聴率なんて5%も行ったらよい方だってのに…ってそれでも何百万人の人が観るのだから観た人のうち百人に一人が買ったら何万という売上増が見込める訳でな…

…という風にあらぬ皮算用まで始めてしまうので、一旦落ち着こうかと思う。ふー。

どうせアルバムの中身を聴いたら興奮するのだから事前にテンションを上げる必要はない。寧ろ下げとく位でちょうどよかろう。大体、アルバムの前半だけでノックアウトされるのはほぼ確定しているのだから。先行シングルとして出しといて貰って本当によかった。こんなん全部が初出で浴びたら命の危険やわ。

ほんに、生きてる間あと何回宇多田ヒカルのニューアルバムをリアルタイムで聴けるやら。インターネットと計算機のお陰で「過去の音楽」はバンバンアーカイブスされて誰でも聴けるようになっていく。それだけに、その時代に生まれたその時代の音楽をその時代に浴びれるのは意義深い。そして当人にこう言われるのだ。『時代と関係ないところで生きてきたのでわかりません』と。ぎゃふん。

新しい歌に新しく出会うのはその人の物語だ。歌が出来た日に聴くのも歌が出来た日から百年経った日に聴くのも、その人にとって初めての体験ならそれは新しい。他人が決める事じゃない。

が、リアルタイムの最大の効能は、大体に於いてそれが初めてである人が最も多くほぼ同時に生まれる点である。実況のよさというか、新しい歌に対して新しい感情を新しく共有できる機会がその一瞬、歴史上最大となるのだ。

勿論後世に発掘されブレイクする人も居るので必ずではないが、ヒカルの場合現時点で大きく有名なので、人類の歴史の中で最も『初恋』が注目されるのは明日明後日、そしてまぁ「NHK SONGS」のオンエア直後とかかな、これから一週間であろう事はあんまり疑いがない。

今がどんな時代かなんてわからない。しかし、今が、少なくとも私たちの多くにとって“『初恋』の時代”である事はほぼ違いないんじゃないか。

多少のズレはあるだろう。平日は忙しいからゆっくり聴けるのは週末になる、とか大切過ぎてなかなか封を切れない、とか。その気持ちも痛いほどよくわかるが、「『初恋』に初めて巡り会った時の気持ち」を最大多数の人たちと共有したり、突き合わせたりできるのは今なのだ。このタイミングがいちばんエネルギーに満ちている。Webを巡回するのでもいいし、CDショップを回ってみるのもいい。誰か友達や家族と語り合ってもいいだろう。まぁ何も出来ないなぁという人は、仕方がないからこの日記でも読みに来てくれれば。幾ら時代と関係のない所で生きていようと、我々が宇多田ヒカルを見つめ続けている限り“『初恋』の時代”からは逃れられない。