無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

サステナ-ビリティ/sustainabilty

然るに、19,20世紀は"煙の時代"だった。大量の物的人的資源を消費する際、人は内部で"精製"を繰り返す代償として外部(=環境)に"煙"を吐き出し続けた。人間にとってソレは煙草の、車の、工場の、そして戦火の煙であった。そういえば喫煙は随分隅に追い遣られたし車はハイブリッドから電気へと流れ街中から"煙"は随分と姿を消した。何が云いたいかというと、外部(=環境)に負荷を捨て去るシステムは維持可能性に難点があり、光のアーティスト活動も似た局面を迎えつつあったのではないかという事だ。永続的維持可能な人間と自然のバランスを取り戻す、ソレが人活ではなかろうか。