無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

Internationalization

脳みそのサイクルなのか何なのか、何となくカラダが"次のUtaDAのアルバム"を欲している感じがしてきた。勿論今や光にはEMI下での宇多田ヒカル名義しかない訳で、たとえフル英語盤を制作するとしてもUtada Hikaru名義かHikaru Utada名義となる為もうUtaDAの3rdアルバムというのは存在しないのだが、純粋にEXODUSとTHIS IS THE ONE(ってフルでアルバムタイトル書くの久しぶり過ぎて一瞬"コレでよかったっけ?"と悩んでしまったw)を結んだ延長線上の音楽性を夢想し始めた、とそういう事だ。光の場合、言語と市場の選択は音楽性そのものを変化させる要因なので、EMIとの話し合いの中で英語曲の扱いがどうなっていくかは気になる所。たとえフル英語盤を作らせて貰えたとしても、日本での対策にもっと知恵を絞ろうとするだろうし、伝統的に英欧主体のレーベルなので今度は本格的な欧州ツアーも視野に入れてくるかもしれない。数年で大規模な急成長を遂げるアジアの国もありそうだ。も
しかしたらそれは、日本市場の壊滅と裏表となって立ち表れている虞もある。それらあらゆる要素が、光のInternational志向と化学反応を起こすだろう。そう、International。UtaDAのアルバムに関しては私は幾度となく「もうひとつの母国で出すDomestic/国内アルバム」だと主張してきた(光自身がこの点を前面に押し出して強調したことはない…と思う)。EMIは、しかし、ブランチはあるとはいえ(それも昔の話なのかなー)アメリカのレコード会社ではないのだから、アメリカ国内盤という発想は構造上ほぼ不可能となるだろう。そうでなかったら元からユニバーサルと契約なんかしないからね。となると、今の光はアメリカで生まれ小学校の大半を過ごした自分の半生をかなり相対的にみているのかもしれない。スポーツでアメリカと日本が対戦しても躊躇いなく日本を応援しているし。まぁ、インターネットが発達した今は「国と国」という意味のInternationalより国境を取っ払った「ひとつのまぁるい星・地球」として
のGlobalの方が好まれるのだが、まだ光はそこまで行けない…と私が思ってしまうのは何故なんだろう。来週はそこらへんを突っ込んで考えてみるとするか。