無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

Father,more.

照實さんのツイートは毎回実に興味深い。なんというか、すぐに頭を抱え込んで悩み始めてしまい思い詰める、まぁ直情に素直というかミュージシャンとして必要な過敏な感性を赤ちゃんになっても(60歳になって赤いちゃんちゃんこを着せられてもう一度0歳の赤ちゃんの時と同じ暦に戻ってきましたよ(還暦です)というたった今捏造した言い回し、のつもりがbabyに戻ってしまった件について:還暦だからそれでいいのか、うん)持ち合わせているのは頼もしいというべきかプロデューサー/マネージャーとしては頼りないというべきか、ともかく魅力的な人である。彼個人の音楽的な才能については未だ不透明な部分が多いものの、藤圭子宇多田ヒカルという邦楽史上に燦然と輝く異形な女子歌手2人に挟まれてここまで来たのだからタダモノでないことは確かだろう。

昨日のツイートでも「政府が意見を一つに纏めて」と、多角的に情報収集をして何が確度の高い情報か見極めるのが前提となっているネット世代からすればキョトンとするような発言をしていたが、60〜70年代の時代背景において(どこの国でかはしらないが、恐らく日本とアメリカのいずれかだろう)多感な学生時代を送り、多感なまま赤ちゃんになった彼にしてみればそれは自然な思考の誘導かもしれない。国というものの大きさ、絶対性は、海外旅行が制限されていたような中で宇宙飛行士を目指していた人からすると学生運動に参画していた人々以上に身につまされているだろう。いざという時は多大な権力をもつ国がそれ相応の責任をもて、ということだ。

更に、それに加え、なんだか人の言う事を信じる事も否定する事もできず不安なまんま疑っている感じもみてとれる。ザッピングして各チャンネルごとに煽られた不安感の蓄積が「なんとかしてよ、国」となったろうことは想像に難くない。そういえば報道をみすぎて精神的にまいってしまったミュージシャンもいらしたそうなので、照實さんの周囲の人はそういう症状が出ていないか注意を払う必要もあるだろう。

そして、そんな性格だからこそ(まぁ若い頃はもっと尖っていたんだろうけど)藤圭子宇多田ヒカルに挟まれて生きてこれたんだろうなと思う。光に対する「我が子」な眼差しの優しさはフォロワーの皆さん全般が感じていることだろう。人の云う事を否定できない性格なのだ。訝しいと疑いつつもどこかで「もしかしたらそうなのかもしれない」という可能性にとらわれてしまう。なんだかんだで我の強そうな2人の女性に対して、それなりにいい聞き手なのではないだろうか。それが2人に対してだけでなくなっちゃったりしたら(以下憶測につき自粛)

彼の考え込む性格は、単体のミュージシャンとしては決して成功を導くものではない。しかし、エキセントリックなアーティストからすると突飛な発想を「もしかしたらそういうこともあるかもしれない」と受け止めてくれるプロデューサーが傍に居ることは何とも心強い。しかも、単なるイエスマンでなく、感受性が繊細な為やはりどこか訝しい。彼、宇多田照實という人は、才能と偏りのあるミュージシャンに出会えて初めて自分を大きく活かすことが出来たプロデューサー/マネージャー体質の人なのではないだろうか。それにしたって、それが妻(時々赤の他人)と娘(こちらはフルタイム)だってところが彼の異常性ではあるんだけどねぇ。