無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

vanity

『自分らはいつまでも平穏に生きられるという思い上がり』とはまた光が公言したセリフの中でもトップクラスにどぎつい感じがする。兎に角、"自分は関係ない"と思う人間に対して前からとても冷たい。それは『誰の為にもならない』という強い確信があるからである。何かが起こった時"誰にでも起こり得る事が今私に起こった"と捉えられず"どうして私が"と狼狽する場合、そこには全く必要のない負の感情が芽生える。運命への憎しみである。それと対局にある(逆っつーんだっけ裏っつーんだっけ)感情、"誰にでも起こり得る訳ではない事が今私に起こっている"事、即ち"有り難い"事に対する感情が光は最も強い。こないだ聖母たちのララバイを熱唱していたリツイートさん、いやRTさん(ますます誰だよ)もものまねというとすぐ"ありがとーっ!"と絶叫してしまう、まさに光のトレードマーク。"あたりめぇ"vs"ありがてぇ"とでも言おうか、光が"夢"
に対して冷たい言葉を言い放つ時、彼らがそれを当然であるかのように振る舞っている事を"まるで夢の中に居るみたいだね"という冷たい視線で見つめているのである。世界に対する視野の広さ。それは精度といってもいい。量子の"大きさ"には限界があるのだから、狭い世界だけを眺める時は解像度が落ちる。精神の繊細を維持する為には世界を外へ、広く見る事が何よりも肝要である。このまま狭い世界の裸の王様になりたくない、マネージャーなしでは何もできないおばさんになりたくない、という感情は、今迄一貫して冷たい視線を投げかけてきた"彼ら"に、今度は自分がなってしまう恐怖感から来たものではないか、という捉え方はなかなかに説得力がある。そう考えると、長い人生、光も今回だけでなく今後何度も人間活動に入る期間を設けてもいいかもしれない。然し一方で、この28歳というギリギリの年齢での自分の世界からの離脱はまさにたった一度きりのラストチャンスであることも強調しておきたい。今彼女がどんな活動をして
いるか知るよしもない、別に毎日ベッドに寝っ転がってチョコレートを食べててもいいんだけれど、時間だけは何だかんだで全員に平等である。死ぬまでは。人間一人々々何を無駄と捉えるかは千差万別百家争鳴だが、時間だけは皆無駄にしてはならない。Don't Waste Your Time, 初心に還って、くいのない人間活動生活を送って貰いたいものである。時間を無駄にすることは、誰の為にもならないのだから。