無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

その2が遠いなぁ

うーむ、何から話し始めたものやら。人間活動といって、音楽以外で、メディアに乗るようなことをするんだろうか。読めない。

なんなのだろうか、光の事が信用できないのでも信頼できないのでもないのに、心配で不安なのは。分かりやすい説明は、自分の方がついていけるかどうかの不安と心配なのだという解釈だ。勿論光が常に正しい(というのもどういう意味かわからないが)訳ではないし、若気の至りだな〜とかやりすぎたな〜とか本人も思ってること沢山あるんだろうけど、総じて私がしたであろう判断よりずっとベターな選択をしてきた筈だ。ならば次に来る選択もまた、光の方が正しい(適切とか妥当とか)のだろう、という見立てをしてしまう。ならば、もしその決断についていけないのなら私の方が間違って、いるのだ。

そういうのは主体性のない考え方だと思われるかもしれないが、情報過多の時代に"自分の考え"に基づいて突き進むのは基本的に誰の得にもならない。一方で"自分で考えて"行動することは非常に大切だ。この差を自覚しないと、周囲も巻き込んでしっちゃかめっちゃかになるだろう。下手な考え休むに似たり、考え休んじゃ下手を打つ、だ。

光の頭の回転の速さは誰よりも承知しているつもりだ。入ってくる情報にバイアスがない限り、バランスの取れた判断をしてくれるだろうという期待がある。一方で、その速さ故決断に至った経緯を説明して貰おうにも量が膨大過ぎて無理だろう。となると、信じるしかない。

が、出来れば事前に"素地"だけでも持っておきたいのが人情。考え方や方向性に"共感できる"素地である。

本来なら、このblogはまさにそれを提供する事が役割だと思うのだが、音楽や歌詞、創作に関する事ならともかく、エネルギーや環境の問題となると、どうしたらいいかよくわからないというのが本音。音楽の響かない領域で、果たして何をすることやら。財団を設ける程の財力はないだろうし、かといってNGONPOを立ち上げるには知名度がありすぎるし…。

やっぱり妙に不安だ。まぁいつものことっちゃその通りなんだが、たまには対象から離れて(detach)みることも必要じゃぞ、ということくらいしかいえない。まぁ、それを商業音楽について実践しているのが"人間活動"なんですがね。