無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

怖くはないけれど

時々琥珀色の戯れ言(そういうブログがあるんだ)と内容が重なる事があってありゃりゃと思うのだが、私とそのページの執筆者の方のパーソナリティや考え方はそんなに積極的に重なる訳でもないことを考えると、何か不思議な気がする。取り上げるテーマも全然違うし。

多分、個々の性格の方ではなく普段触れている情報群の性質の方が似通っているのだと思う。そして恐らく、ブロガーとして"バランスをとろう"という姿勢については、(他の趣味嗜好は別にして)似通っているのだと思う。同じ情報に触れていて、"今欠けている論点はなんだろうか、今感じている違和感は何だろうか"と最初に考えてしまったときに見つけるものが似てくるんじゃないか。

昔は、シンクロニシティ(共時性)は珍しい現象だった。情報的に隔絶された相異なる場所で同じ時に同じ事が起こる現象をいうのだが、今はインターネットによって"情報的な隔絶"が少なくなってきている。特に、その情報"量"が圧倒的に多い為、こまめに情報を追えば追うほど考察の結果は似通ったものとなっていく。情報量の発散による思考の均質化である。

これは皮肉とみるべきか何なのか。独自のものを生み出す為には、出来るだけ情報を採り入れない事が肝要になるのだ。確かに、これは昔からある現象でインターネットがそれを加速させただけという見方もできるが、その加速のさせ方が尋常でなく、人間の側の思考様式がまだまだ追いついていないように思える。

ミュージシャンも昔から曲作りにあたっては外界からの影響を遮断する人は結構居たが、それは最初っからオリジナルな音楽を追究するタイプの人々なので、今でもあっさりPCのスイッチを落として対処しているだろう。一方で、ポップミュージシャンとしてシーンに向き合っている人間はネットとの接続を切るのは難しい。そして圧倒的な情報の奔流に巻き込まれて均質化された思考と感性になってゆく。危うい。

ヒカルに訊いてみたいのは、今までどうしてきたのかという点と、これからどうしてゆくのかという点。特にWebへのプロモーションの依存度が高いミュージシャンなので、Web全体(いやまぁ局所的なひとまとまりの一部分だろうけど)の流れを把握していないと心に響く歌を心に迄届ける事は難しい。人間活動中は、Webのスイッチをあっさり切っている期間を設けてみるのも1つの手段かもしれない。