無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

意図を手繰り寄せてゆく生き方

クラブチッタでSaxon観てきた。まぁその感想を書く場ではないのでそれは省略するが(いやぁよかったぜよ)、会場に赴く前のほんのちょっとした事を備忘の為書き留めておく。

ライブの前、ちょっと空いた時間。何故か、急にHELLOWEENの名曲"The Saints"のメロディーが頭をよぎったので、久しぶりに聴いてみようとプレイボタンを押した。イントロが終わる位で、いやどうせなら時間もまだあるんだしアルバムの冒頭から聞き直そう、そういえば今は曲名検索をしたんだけど、どのアルバムに入ってたんだっけ(苦笑)、そうそう、Gambing With The Devilだ、ぽちっとな…

一曲目は序曲だったな、このバンドはいつもそうだ、あ、この時はナレーション入れたんだったな〜こいつらはドイツのバンドだけどこん時は英国風の発音が欲しくって重鎮に頼んだっけ、この聞き覚えのある声は誰だっけな―…あ。SAXONのピーター"ビフ"ハイフォードじゃないですか。(汗) 私が今から見に行くライブのフロントマンですね…。


斯様に、私の脳はややこしいことをする。"Saints"を口遊んでいた時はビフの名もSaxonもまるで頭にない。曲→収録アルバム→冒頭序曲→ナレーションの人→今から会いにいきます、という連想ゲーム。私の無意識は恐らくこの逆を辿って私に教えにきてくれたのだろう。

無意識、というが、一体この一連の流れに私の意識や意図はどれ位含まれていたのか、どう判断すればいいのか。そもそも"Saints"のメロディーは気が付いたら頭の中を流れていたが、だからといってわざわざ再生してみる必要もないし、それに、なぜアルバムの頭から聞き直してみようと思ったのかもよくわからない。それぞれのステップに於いて私はそれを選択しないことも出来たはずなのに、そうはせず、きっちり連想の円環を描く事が出来た。実をいうと、チケットもまだ買ってなかったし、疲れと眠気も溜まっていたから体調がすぐれなければ観ずに帰ろうか、とも思っていたのだがこの流れで「ありゃ、こりゃ観といた方がいいんじゃないか」と決断してバカ高い当日券を購入し参戦し、今は眠気はどこへやら、元気いっぱいにこうしてblogを執筆している。

無意識との対話、とでもいったらいいのか、こうやって自分の行動方針を決めるのはよくある事だ。そしてそういう場合、必ずうまくいく。うまくいかないのは、対話自体が生まれない時だ。私の場合、ね。ただ、こういう事を続けていると自分の意図や意志や意思や意識は、いったいどこにあってどのようなのかよくわからなくなっていく。

光の場合は、こんな小さな決断どころではなく、人生全体がこんな感じなのではないかと推測する。SC1表紙詩にあるように、過去に自分の書いた詞が、今や未来の私を書き示している、というのは、SAXONのライブに行こうと決断する為にHELLOWEENを口遊むような"まるで道筋のみえない所から出発して、自分の意図に後から辿り着く"という流れと、なんとなく似ている。

普通は、何かを意図して何かになる。世界チャンピオンは余程の事がない限り世界チャンピオンになろうと思ってなっている。なれると思えてたかは別として。カレーライスが食卓に並ぶのは、お母さんがカレーを作ろうと思って作ったからである。もしかしたら豚汁を作ろうとしていた途中に味噌が切れている事に気がついて途中で気が変わったのかもしれないが、その気が変わった必ず後に、カレーライスは出来上がる。カレーライスは、やはり意図して作られた。

だから、"最後に自分の意図がわかる"という全く逆の順序は、人によっては理解しがたいパラダイムかもしれない。が、宇多田光は多分、今もってして"自分が何をやっているのか、強い確信には支えられているけれど、それが結局何なのか、何か意味があるのか、よくわからない"状態なのだ。だから、"光は何がしたいの?"と訊かれても"あなたってどういう人?"と訊かれても、答えようがないのである。それが何かわかるのは、果たしていつになることか。それは、今これを読んでいる誰も生き残っていない通り未来の事になるかもしれない。

でもまぁ、それが何であるかわからなくたって、私は歌を口遊むし、光は歌を作って唄うだろう。生きているとは、そういう事だ、と取り敢えず今は思っておくことにする。