無意識日記々

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世の中基本は弱肉強食/虹色バス

twitterを見ていると、売上の割に誰かの願いが叶うころの歌詞が引用されるケースが多いように思う。リリースされた当時は「よくこんな売れ線離れした曲をシングルにするなぁ」と感心したものだ。まぁ、一応二週連続1位なのでこれを「売れなかった」とはとても言えないのだが。

恐らく、この歌の歌詞が人を惹きつけるのは、世の中には敗者の方が遙かに多いからだろう。よく読めばこの歌は勝者の側から書かれているように読めなくもないが、全体を包み込む痛々しいまでの優しさがまず心に届くのだろう。成就する恋愛より叶わない恋の方が共感をより得るのなら、ミュージシャンは失恋ばかりしていた方がヒット曲を連発できる、なんていう残酷な皮肉も、確かに世には存在する訳で、この曲に最初に感じた"ポピュラリティのなさ"は、今の愛され方、受け入れられ方を見ると一体何だったのだろうと些か不思議な気持ちになる。

恐らく、そのどちら(歌詞の愛されようとポピュラリティのなさ)も原因は同一で、この歌がヒカルには珍しく(確かこの時点では初めて?)、音楽より先に歌詞を書いたからだと思われる。歌詞を最重視した楽曲だから歌詞が愛され多く引用されるのはある意味当然であり、また、メロディーは歌詞に引っ張られるかたちでちいつもと較べれば"いびつ"になり、ポピュラリティのなさを感じさせる事に繋がった、そう解釈している。

では何故この曲に限って歌詞を先に書き始めたのか。そもそも映画の主題歌"として"作る、という順序がヒカルは初めてだったのではないか。それまでもそれ以降もタイアップを多数手掛けてきたが、まっさらの状態から曲を作るというのは、もしかしたら殆どなかったのかもしれない。タイアップ相手の様々な要素を取り込んだ曲を常に書いてはいる(極端な例では、キスクラのカップヌードル)ものの、音楽的要素は元々ストックしてあるものを使い、そこに相応しい歌詞を当てはめる手法をとっていたのではなかろうか。それが、誰かの願いが叶うころの場合、既存のアイデアを使わなかった。とすると曲作りの取っ掛かりとしてまず歌詞から、となったのかもしれない。

となると何故既存のアイデアを使わなかったのか、という疑問が湧くのだが、はてさてこれに関しては検討がつかない。どう推測しようとしてもしっくり来ないのは、もしかしたら私どこかでこの件に関して大きな勘違いをしているのかもしれないな…。