無意識日記々

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微分=微かに分かる事(受け売リ)

立秋というのはその名の通り"秋(らしさ)の立ち上がり"の日であり、それまでなかった"秋の気配"が生まれる日である。裏を返せば今日、或いは昨日が"最も夏の盛んな時期"になる訳で、立秋とはほぼ一年で最も夏らしく暑い日であるといっていい。別に二十四節季の生まれた昔は秋になるのが早かった事もなく、今も昔もこの時季は暑いのである。

これは"微分"の話だと思った方がいい、なんていうと文系の読者はここで離れちゃうのかな。夏らしさの曲線を書いた時、立秋は"極大地"を取る。この時、"極"の字を使うのは本来適切でなく、"局大値"(局所的に大きい値)などと書くべきなのだが。"極めて大きい値"と読んじゃうもんね。数学では言語は記号なもんだからこの辺無頓着で、例えば"無理数有理数"も直訳して"無比数・有比数"と書くべきだと思うのだが…って話が脱線し過ぎたな。

つまり、立秋が夏らしさの局大値(でこの場合最大値)、即ち最高潮であるからここから少しずつ夏らしさが減っていく。その中でもまだまだ残っていく夏らしさの事を"残暑"と呼ぶのだ。一方、秋らしさの方は立秋において漸く0からほんのちょっと増えた状態で、まだまだその姿をあらわにする事はない。これから少しずつ、少しずつである。

こういう微分的な考え方、即ち物事を全体的にみるのではなく"変化"でみる見方というのは、なかなか生得的には身に付かない。なので、毎年のように"立秋だというのに暑いではないか"と不平を漏らす人が居る。大抵は冗談めかしてはいるけどね。

光についても、同じような見方をした方がいいと思う。SC2の新曲群の充実と、過去最高のコンサートとなったWILD LIFEの図抜けた素晴らしさ。売上は兎も角、内容では今宇多田ヒカルは非常に高い所に居るではないか、何故休む必要があるんだ、と感じても何ら不思議ではないと思う。

しかし、ここは微分的に考えるべきなのだ。光のミュージカル・パワーは今ここが極大値(局大値)なのだと。もしこの後もアーティスト活動を続けていたら、ここから落ちていってしまうだろうという強い確信があった。宇多田ヒカルという夏は、まさに夏真っ盛りの立秋のタイミングで冬眠に入ったという訳だ。早っ。

Show Me Loveで歌われている通り、今はまさに『山は登ったら降りるもの』なタイミングなのだが、微分積分の授業の時に先生に何度も釘をさされたあの注意事項を想起しよう。そう、「極大値は必ずしも最大値とは限らない」のだ。確かに、今回のヒカルはほぼピークのタイミングで山を降りたのだが、これはあクマで局大値。次に登る山はきっともっと高いのだ。その高さに備えて、今の光は確たる基盤を作ろうと頑張っている筈。僕らの前に再び姿を現す時はきっともっとたクマしくなっているに違いない。