無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

夢見てばっか

嵐の女神は何度聴いてもEVAにピッタリである。ここまで一節々々EVAのストーリーに絡めそうな歌詞を並びたてられているというのも奇跡に近い。やっぱり、新劇版のエンディングテーマにならないかと進言せずには居られない。もしそれが実現しなくとも、完結した新劇版を使って、いや、のみならず旧世紀版(Qと旧が掛かってるって誰が言い始めたの?)も援用して誰かがMADを作るだろう。これは断言しておく。

何故ここまでEVAにピッタリの歌が出来たか。これは以前指摘した通り、ヒカルがEVAを意識したというよりも、シンプルに、お互い人間関係の、親子関係の芯みたいなものを見抜いているからに他ならない。ヒカル曰く『ダシの部分』である。そこを抉り取り出すと同型の構造が現れた。それだけの事である。

逆からみれば、Beautiful Worldと嵐の女神の歌詞から、新劇版EVAが今後どういう展開をみせるかが推察できるかもしれない。

恐らくこれは、『言いたい事言えない 根性なしかもしれない それでいいけど』だった少年が『今なら言えるよ 本当のありがとう』と根性をみせ更に『お母さんに会いたい』と本当に言いたい事に辿り着く物語だ。EVAの中で、シンジが"本当のありがとう"を、誰に対して呟くか。これを注目点に次作EVAを見てみるのも面白いかもしれない。

旧世紀版、とりわけテレビ版は終局2話が凄まじい事になっていた。あんなものが夕方に地上波で放送されたかと思うと笑いが止まらないが、その最後の最後はとどのつまり"祝福"だった。「おめでとう/ありがとう」。それを踏まえて制作された劇場版は…という話をすると長くなるな。

新劇版において、シンジをはじめとした14歳たちが今度はどんな場面でそれぞれの"母"と出会うか。"嵐の通り道"を、それぞれがどう辿るか。Beautiful Worldでは『自分の美しさ まだ知らな』かった少年が、どうやって愛されて育ってきた事に気付き、そしてその愛に満ちた境遇自体が美しさの源泉だと気がつくか。誰に出会い、誰に許され誰を許し、誰に与えられ誰に与えるのか。何を与え与えられるのか。具体的なストーリーの中でそれらがパズルのようにはめ込まれていくのを想像する。

抽象的な話に終始しているのであとひとつだけ。恐らく、新劇版EVAが完結する頃には、Beautiful Worldの歌詞の中で最も不可思議な光を放っているあの一節、『僕の世界消えるまで会えぬなら 君の側で眠らせて どんな場所でも結構』に、明確な解釈が与えられているだろうと予想する。僕の世界とやらが消えたら"君"に会えるの? 会えないのに側では眠れるの? 君と僕は生きているの死んでいるの? 消えるとか眠るとかは、死の暗喩なの? この君と僕はシンジとカヲル?シンジとレイ? 或いは何れかの子と親?? また眠りから覚めた時、世界はどうなっているの? 疑問は尽きないが、この"謎"が解けた時、Beautiful Worldは真の神曲に昇華している事だろう。

"僕"の隣で眠る"君"は誰なのか。それが明らかになった後、『私を迎えに行こう おかえりなさい 小さなベッドで おやすみ』―やっぱり完璧じゃないか!☆