無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

雲を掴むような話

FFFTPの開発が終了したらしい。使い始めた当初はftp自体との区別がよくついていなかった位(いやホント)に、生活に密着したフリーソフトであった。ひとまず、開発者様にはお疲れ様、ありがとうと言いたい。お疲れ様、ありがとう。

今や、Webへの"アップロード"の方法は本当に多岐に渡る。twitterで呟くのもアップロードなのだが、"えっ"とかそれだけでは意味不明な一行も気軽にアップロードして公開できてしまうようになり、まぁ当たり前だが自分の発言を全世界に公開しているという意識はどんどん希薄になっている。トラブルは依然絶えないがそれはまぁ昔からだ。いいことなんじゃないか。

それと同時に"ダウンロード"の意識も段々希薄になっている。これはブラウザってもんが普及してより顕著になった事だが、何かデータを取得すれば本来総てが"ダウンロード"だ―と言いたかったが、少なくとも日本語においてはその認識はいよいよ通用しないようだ。

昨日9月1日午前11時からNHKのラジオ放送Web版"らじるらじる"が始まったが、そこに"(この放送は)ストリーミングなのでダウンロードできません"と書いてあった。ダウンロードせずにストリーミング放送のデータをどうやって取得するんだと一瞬混乱したが、つまり"ローカル(あなたのPCのハードディスクや携帯のメモリカード)には保存できませんよ"という事だ。ふむ。

NHKといえば、"正しい日本語"の規範として最も参照される媒体のひとつだ。そのWebサイトがこういう表記を採用するという事は、ダウンロードという単語はローカル保存をさす用語として、より定着していると考えるべきかもしれない。

ともなれば、これから普及すると考えられている"クラウド"は、もしかしたら一般的な認識が定着するのに難儀するかもしれない。梶さんが"次はクラウドか"と目を光らせている事を考えると、宇多田ヒカル作品についても今後クラウドサービスが採用される事は想像に難くない。が、使用するリスナーの方はローカル保存をダウンロードという言葉で表現している、即ち、何らかのかたちで"手元に残る"事は想像以上に特別視されているとみるべきだ。どういうことかというと、実際はクラウドサービスを使っているとしてもローカル保存しているような感覚を齎す工夫を施さないと、マスレベルでの商業的クラウドサービスの普及は覚束ない、という見立てである。

宇多田ヒカルは、常に、最先端ではないまでも、マスレベルでの新しい商業サービス開始の狼煙をあげてきた。クラウドサービスに於いてもそうなるかどうか、時期的なものもあるだろうが注視しておきたいポイントである。