無意識日記々

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特技は惑わす事

前々回では、Heart Stationを実体験に基づく歌詞をもった歌として扱った。これは、当時の光のインタビュー発言からの帰結だが、だからといって歌詞に書いてある事が総て実体験のままとは限らない。ある程度は脚色してあるだろうし、ある程度はありのままだろう。

この曲に限らず、光の書く詞は経験と想像のブランドになっていて、どこから戸こまでが経験で想像か、その割合が曲ごとに異なると思っておくのが妥当かもしれない。

Exodus発売時でのインタビューだったか、「1stアルバムで歌詞を書くには15年分のネタがあったが2ndに向けては2年分しかなかった」と言っていたような気がする。これは2ndアルバムの壁として多くのミュージシャンに当てはまる事なのだが、ヒカルとて例外ではなかったようだ。

『夢も現実も目を閉じれば同じ』『ウソもホントウも口を閉じれば同じ』―そうやって経験も想像も総て歌詞の素材として相対化する事で、光の書く歌詞は普遍的な色合いを放つという解釈も出来るかもしれない。また、どこまでが実体験だろうというこちらの色眼鏡をかわす効果もある。全部想像だったり全部実体験だったりすると、人は惑わない。

travelingで乗り物をタクシーにした点も、別に歌詞なのだから自分で運転する事にしてもよかったのだろうが、なぜかそうしなかった。そこは経験から出てくる言葉の方がリアリティがあると判断したからか。

リアリティ。現実味。不思議なもので、実際に起きた事実に対しても"リアリティがない"という表現はするし、全くの想像で組み立てられていても"リアリティがある"と言ったりする。この言葉は、リアルに実際に物事が起きたかどうかに直接関係がない。人の感じる感覚の話だからだ。

それは、説得力と言い換えてもいいかもしれない。人の胸を打つ言葉は、現実とは必ずしも関係しないが、現実味は帯びている方がいい。他方、歌詞に説得力のような力強さが必要なければ、たとえそれが現実に根ざしていようとも、どこか現実味が薄く幻想的な色合いが強くなる。

Prisoner Of LoveやMaking Loveのもつ説得力は、多くの人間に「それは私(たち)のことか」という感覚を齎した。他方、Passionの提示した淡い情景に"共感"した人は、そんなに多くない筈だ。Goodbye Happinessはその点更に際立っていて、淡く幻想的ともいえるタッチを伴いながら到達する言葉、メッセージはとても強い。何か、リアリティというもの事態が昇華してしまった感がある。

人間活動を通じて、光は沢山の"リアル"をまた手に入れるだろう。歌詞のタネを多く仕入れれるに違いない。しかし、それが"リアリティ"になるかどうかは直接関係ない。寧ろ、そういったものから解き放たれた方が遠くの人まで届くかもしれない。光の特質は、人の経験も自らの事のように感じられる想像力の強さにあるのだから、それさえ失わなければ歌にリアリティを持たせ続ける事はできるだろうと思われる。