無意識日記々

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前ドラマーの父がバンド名の名付親

今朝触れたDream Theaterだが、前作はデビュー20年目にしてそれまでのキャリアハイを大幅に上回る全米6位を記録した。これだけ長くやってきて、彼らは今がいちばん売れているのだ。継続は力なり。

彼らのやっている音楽はプログレッシブヘヴィメタルというジャンルで…とか話し始めてしまうと終わらないのでやめておく。とにかくここでは、彼らがそれまでのロックの歴史の総てを貪欲に取り込んで新しい音楽性を創り出し、後続に大きな影響を与えている点を強調したい。

今日発売になったニューアルバムのハイライトは8曲目のBreaking All Illusionsだろう。例によって歌メロは退屈だが、12分の中に叩っ込まれためくるめくアイディアの数々は瞬時に数多くの先輩たちの名曲群を想起させる。それでいてこの曲には新しい独自のグルーヴが域衝いているのが何より凄い。音楽を幅広く聴いていればいる程、彼らの引き出しの多さと演奏技術の高さにはいつも驚かされる。

先達からの影響をわかりやすく示しながらそれを土台にして新しい領域に踏み出していき、後続に大きな刺激を与える。音楽の遺伝子が大河のように連綿と流れ続け新しい音楽を生み出していく風景がみえる。継承って素晴らしい。

ここで例によって「ヒカルの音楽は(歌唱法はともかく)作曲に関しては先達の影響から紐解くのは難しいし、かといって後続たちに(歌手になろうとは思わせても)音楽的影響をあんまり与えてないんだよなぁ」というお馴染みの嘆きを書いてもいい。前にも「(音楽(へ)の)継承と献身の概念が薄いなぁ」と書いたのだ。

書いたのだ。が、考えてみれば、いや考えるまでもなく、ヒカルは音楽を、本当の遺伝子を受け継いだ両親から継承しているのだ。家業を継ぐ。これ以上の継承があるだろうか。他のミュージシャンからの文化的遺伝子/ミームを云々する前に、実際の遺伝子/ジーンが仕向ける性向を語るべきなのかもしれない。

藤圭子から何を学んだか。宇多田照實から何を受け継いだのか。それを見極めた方がヒカルの音楽は分かりやすいかもしれない。ヒカルはEVAに携わるにあたって親との関係は人間関係の基本だからいつでもテーマとなりえる、つまり普遍性があると語っているが、ヒカルにとっては音楽に携わる事自体が親と向き合う事と殆ど同義になっている為、歌詞を書くとなると親子について語らぬ訳にいかなくなってくるのではなかろうか。親子の事について歌いたいというよりは、歌うという行為自体が親との対話なのである。

となると自然に興味が湧いてくる。「宇多田ヒカルは自分の生んだ子にも音楽をやらせるのだろうか」と。また運命の歯車は、年歯もいかぬ幼子に、お母さんみたいな苦労はしたくないからと呟かせつつこの道に足を踏み入れさせるのだろうか。

ウィンブルドンベスト8という輝かしい成績をもつ松岡修造は、自身の父がその昔デビスカップ代表(つまり日本代表)になる程のテニス選手だったという話を、随分後年になってから聞かされたらしい(Wikipediaによると)。父が実業家に転身するにあたり、テニスに関連するあらゆるモノを処分しそれに関して修造に一切語らなかったかららしいが、これをきいて誰もが思ったことだろう。「血は争えないのか」と。

ヒカルの子が自分の母親と祖母が日本記録を持った歌手だと知らずに育つのは難しいだろう。が、仮にそれが(日本以外の国で育つなどして)可能だとすれば、放っておいても音楽家になるかどうか、みてみたい気がするけど流石に野次馬根性が過ぎるわね。