無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

to me, nature arrives

ナチュラルタイムズ10周年おめでとう。しかし10年て。10年て。

インターネットがポピュラーになって15年程だろうか。確かに10年続いているサイトがあっても不思議ではないが、でも実際にひとつところで10年続いている場所というのは驚くほど少ない。BBSからBlogからSNSからシステムが次から次へと移り変わってきた事もあるし、流動的なのがWebの魅力なのだからそれはそれでいいのだが、こうやっていつ行っても、そして久し振りに来た人がいつ来ても変わらず時間が流れている場所があるというのは何とも心強い。

ナチュラルタイムズには様々なコンテンツがあるが、Hikkiファンに差し当たって興味があるのは銀花帳だろう。そういえば名前の由来きいた事なかったな。最近では嵐の女神についての考察が続いている。

無意識日記ではその時の思いつきで更新する事が多い為、なかなか腰の据わったエントリーが登場しないが、銀花帳は兎に角下調べが入念で、そういやそんな発言あったねぇと懐かしく思い出される。私が何かと出展を書かずに光の言葉を"引用"するもんだから、その丁寧さが対比として余計に際立つ。

こうして眺めていると"実際に手にとって調べていないと気がつかない事ってたくさんあるんだなぁ"と思い知らされる。最近で白眉だったのは、嵐の女神のキーワードのひとつ"ゆるし"のヒントとして、モーツァルトのレクイエムがあったのではないかという着想だ。

こちらは毎回さんざモーツァルトモーツァルトと繰り返しているのに、こんな明解な観点を見落としていたのか、と思ったがそれこそコロンブスの卵、気づいてみれば何のことはないが、気づいてみるのはとても難しい。その難しさを潜り抜ける方法論としてこの入念な下調べがある。

実は、調査というのはその時には大して意味を持たない。確かにそんな事言ってたよね、という確認に過ぎない。しかし、その確認作業は、必ずといっていいほど、自分でも気がつかないうちに次に繋がっていく。それは、ふと見かけた写真だったり雑誌の日付だったり…その時には直接関係のない事があとあと生きてくるのだ。

恐らく、ナチュラルタイムズが10年も続いてきたのはその丁寧さに原因があるのだろうか。当人もひとつ記事を書き上げた後は毎度疲弊しているようだが、その時既に次の着想への種は蒔かれているのだ。更新の頻度や分量ではなく、丁寧さのバトンを落とさずに渡し続けられてきた事が何より大きいのではないか。

宇多田ヒカル関連で数少ない(唯一の?)メルマガ発行も又、丁寧さの継続である。よく考えたらメルマガって私信なんだから、個人的なリンクを載せて貰ってもOKなのかな…今度10月からYahoo!ボックスというのが始まるらしいから…っていやいや、あまり踏み荒らさないようにしておくか。私のせいで丁寧の系譜が途切れたらたまったものではないからな。

しかし、それにしても、10年、10年か…気が遠くなるような、でも十年一日のような。これからも宜しくお願い申し上げますm(_ _)m