無意識日記々

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話題性に浸食された(?)曲の評価

UTUBEの再生回数の安定度は特異的といっていいかもしれない。あそこまで各楽曲の人気というのは安定しているのだろうか。

まだ一年足らずなので様子見な事しか言えないが、累計に較べて最近は少し古め(といっても、GBHを除けば"新しめ"の曲でも2008年、3年前のものだ)の曲が盛り返しているようにみえる。Heart Stationが光に抜かれたように。ただ、それもそんなに明確な特徴ではない。

むびのんや中毒、リスクといった初期の名だたるミリオンヒットナンバーがそんなに上位でもない、というのもちょっと目を引く。

PVなだけに映像の評価もなくはないだろうが、Youtube利用者の大半は、曲を聴きたくて曲名検索で辿り着いていると思うので、とりあえずこれが楽曲自体の人気の反映だとすると、1999〜2000年当時は、曲云々より「宇多田ヒカル」という看板の威力、話題性によって売れていたのではないかと容易に想像がつく。

恐ろしいのは、余りにその看板の威力がありすぎて、楽曲の印象すらかき消してしまっているのではないかと思える事だ。同じようにミリオンヒット(これが今の所最後のミリオンシングルCDとなっている)で年間1位のキャンシーはしっかりトップ10に入っているのに。まぁこの曲こそPVが名作なのでそれも要因かもしれないが。

こんな解釈を思いついてしまうのも、当時の"社会現象としての宇多田ヒカル"の強烈さをよく覚えているからである。若い人はピンとこないかもしれないが、今のAKB48人気・話題性が「10年経ったら誰も曲覚えてないだろ」と揶揄したくなる程凄まじい、という今の感覚が10年以上前も(今を更に遥かに上回る規模で)あった、といえば少しは伝わるかな。

これは、恐ろしい事である。様々なプロジェクトを矢継ぎ早に繰り出し、徐々に人気を高めてきたAKB48と違い、宇多田ヒカルは、音楽の魅力のみで、瞬く間に売れたのだ。お陰でFirst LoveやAutomaticは人々の記憶に残ったが、それ以降暫くは話題性だけが進行し過ぎて、曲の記憶が薄れてしまった。そんな解釈。なんかちょっと身震いする。例え音楽で売れても、バブルによる評価不定性発現からは逃れられないのだろうか。

勿論、いちばん恐ろしいのは、そんな数々のミリオンヒットを出しながら、トラベからGBHに至るまで、それらミリオンヒット曲たちを上回る人気を(UTUBEで)獲得し得る楽曲をずっと作り続けてきた宇多田ヒカル本人に他ならないのですが。こんな恐ろしさであれば、いついつまでも味わっていたいものです。