無意識日記々

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それは春の夜の夢の如し

何で朝からラジオでtravelingなんだ、と思ったらそういえば今日は金曜日か。そしてこの歌は春の歌とも言えるんだな。『春の夜の夢の如し』。発売時期が冬だっからそんなイメージとんとなかったけれども。

歌はいつどこで楽しまれるかで記憶の色合いが変わる。いつリリースされるか、いつ人の耳に届くかを逆算して曲作りとプロモーションが行われねばならない。夏の気分を反映させる為に夏に作曲してレコーディングしていたら発売は冬になってしまう。ここらへんが難しい。

ヒカルの歌はその点、季節感が希薄なのでそこまで気にする必要はない。ドラマやCMの歌だって別にナマで当てる訳じゃないから事前の打ち合わせでイメージを掴めばよいだろう。出来た歌をその都度発表すれば大丈夫。

今は、音楽制作のスピードが上がったし、アマチュアであれば完成即ネットで公開、が出来るがメジャーレーベルでは難しい。広告宣伝にはどうしたって時間が掛かる。ここらへんが難しい所で、こちらの意識としては、耳にした時にすぐ配信で購入出来ないと一気に冷めてしまう。何だかモッタイナイ。昔はラジオで解禁日があり、wktkしながら発売日まで待っていたものだが今はそういう感覚は薄い。解禁と同時に手元で購入出来ないとタイミングを逸してしまう。もう6年も前になるけれど、花より男子2で即日Flavor Of Lifeの着うたを買わせたのは見事だったなぁ。あのリズムが大事。でも今に至ってはそれすらも薄れているような。時代のサイクルは早い。それ以上に、音楽を購入するという行為自体にリアリティがない。

90年代はカラオケが隆盛を極めた時期だ。コミュニケーションツールとしても重宝されていたから、新曲がシングルCDが出たらカラオケのレパートリーの為にも購入する必要があった。音楽を買う理由にリアリティがあった。それが良いか悪いかは別にして、カラオケボックスが幾つかある社交場というか遊び場のひとつだったから、そこでは歌に詳しくなければならなかった。

今は、カラオケボックス自体はまだまだ健在だが、使われ方が変わっている。我々がまさにその当事者なんだが、オフ会会場としての役割が増している。というかそればっか? 自分らがオフ会会場として利用しといて何なんだが、あちらこちらの部屋の扉にオフ会会場の看板が出ているのは笑うしかなかった。まぁそれでもなにがしかは歌っているもので、うちらみたいに全く歌わないのも極端だけど。

これが、コミュニケーション、交流のリアリティの変化なんだろうなぁ、と思う。カラオケボックスでの歌の役割の変化は、そのままインターネットが普及して皆が歌を買わなくなった変化をそのまま反映している。コミュニケーション・ツールとしての歌の役割は相対化されたのだ。完全に歌が主役になるしかないはずのカラオケボックスにおいてすらそうなのだから他の場所では推して知るべし、だ。travelingの発売からまもなく干支が一巡するが、金曜の午後に歌いに繰り出す人々はその頃から較べるとやはり減っているのかな。というか、歌える歌が12年間変わってない、という大人が大半かもしれんわね…。