無意識日記々

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動員の質

オリコンチャートが役に立たなくなって久しい。いや役に立っていた時期はあったのかと問われれば答に窮するが今よりはニーズのある時代があった、と言っておけばいいだろうか。今や総選挙の順位の方が国民的関心事らしい。私は一度も見たことがないからわからない。

音楽の方でいえば、今は最も信頼のおける数字はLIVEの動員数となるだろう。円盤の売上は上記の通りアテにならないし、ダウンロード数や再生回数などもWebの上では評価が難しい。人間1人1人を動かした数、というのはかなり明確な指標になる。尤も、実際に"動員数チャート"を毎週提供したとしてもニーズがあるかどうかはわからないが。

音楽がダウンロードできるようになって以降、LIVE演奏の価値が謳われるようになって久しいが、先を見た時、その動員数という量の面より、ショウとしての質が問われる機運が徐々に増してくるかもしれない。

質、といっても舞台の上の話ではない。そちらは何千年も前から問われ続けている。そちらではなく、観客・聴衆の質の話である。

これも、言葉を選ばないと誤解を招く。クラシックの上品な聴衆は質が高い、ハードコアで暴れている下品な連中は質が低い、土居った話ではない。いやまぁそういう見方もあるだろうがそういう一面的な見方とは異なる話。

例えば、昔のエアロスミスが東京ドーム公演を行った際観に行った事があるが、一部の有名な曲以外では観客は無反応に近く、バンド渾身の演奏もただ遠巻きに眺めているだけだった。代理店のイメージ戦略のお陰なのかしらないが、人数にせよ客層にせよミスマッチが起こっている事は明白だった。一方でボンジョヴィが東京ドームを埋めた時は、よいパフォーマンス、好きな楽曲が披露された際には盛り上がる、あぁファンが沢山見に来てるんだな、としみじみできる客層がかなり多く、同じ会場で演奏したエアロスミスとはかなり対照的だった。寧ろパフォーマンスの内容は、私の目からみれば一部エアロスミスの方が優っていたにもかかわらず、だ。

つまり、ここらへんが問われるのである。商業的に動員数だけを追求すると、オーディエンスも含めたショウの価値は下がる。ミュージシャンのパフォーマンスの良し悪しに対して適切な反応を出来るファンを密度濃く揃えられるか。それが、最終的に効いてくる、そんな価値観が、徐々に生まれてくるかもしれない。人々が動員数を気にし始めた後の時代の話になるだろうが。

で。そういった考え方で今までのHikaruのLIVEの歴史を振り返ってみるとどうなるだろう、という話がこの後続く予定なのですが果たしてそれは次回か否か。私もまだわかりません。(笑)