無意識日記々

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バグダッドって濁点だらけだよね

さて、書いてみるしかないか。

バグダッドカフェという映画は見た事はないが、主題歌は知っていた。というか、歌は知ってたけど、あぁそうか、これは映画で使われていたんだねという具合。そういう事はよくある。

昔のミュージカル映画の主題歌・挿入歌などは、先に歌だけに親しみ、それが映画に使われていたのを知るというパターンが殆どだった。こどもにとってはその傾向がより顕著で、サウンド・オブ・ミュージックメリー・ポピンズやチキチキ・バンバンや…いずれもファミリー向けというかこども向けの内容なのだが、小さいこどもにとってスクリーンの前で2時間じっと起きてるのは無理な話だ。眠るかはしゃぐかどちらかだろう。しかし、歌なら3分5分だから何とかなるもんだ。

それに、映画本編は映画館に行かないと見られないが、歌なら家に居てもテレビやラジオから流れてくる。いきおい、歌に親しむ人が増える。そうやって、映画発のスタンダード・ナンバーは形作られていく。

残酷な天使のテーゼ」は、UHF系アニメ初でありながらスタンダード・ナンバーになった希有な例だ。あからさまに言うと、Beautiful Worldがそれに迫れなかったのはちと悔しい。何より、カラオケで歌いやすい使いやすいというのが残テの強みなので、本人ですら歌うのに苦労する美世界はスタンダード・ナンバーにはなりにくいのかもしれない。

何より、美世界は宇多田ヒカルにとって「数ある名曲のうちのひとつ」でしかない。これが案外大きいのかもしれない。宇多田ヒカルといえばBeautiful World、ではまるでない。それが証拠に、EVA序破において、より大きく取り上げられるのは「主題歌がBeautiful World」である事よりも「主題歌が宇多田ヒカルであること」の方だ。曲より人の話題性がまさった。これが現状である。

桜流しはもっと違う。あそこまでいくとサウンド・トラックの一部、映画の一部であって、映画を離れたスタンダード・ナンバーとはなかなかなりえない。カラオケにも全く不向きだ。ラジオでさえ使いづらい。何より、キャッチーじゃないし。そういう意味においては、少し作品性を高めすぎたかなという気はする。私自身はそういう事は全く無く、ひとつの楽曲として単体で捉えているが。

ヒカルは、バグダッドカフェを観てこの曲、Calling Youを選んだのだろうか。それとも歌を先に知ってから映画を観たか、この時点では映画も観ずにただ歌を知っていただけか。いずれかはわからないが、映画をイメージするかしないかで歌へのアプローチは変わっただろうな。私は映画を観ていないからその差があったとしてもわからない。最初に聴いた第一印象といえば、イントロのピアノがFINAL DISTANCEの出だしと同じコードなんじゃないの、という事だった。もし仮に、このカバーがこのあと2,3年後のヒントになっていたとしたらそれはそれで興味深い。もし当時先にこちらのカバーが発表されていたとしたらFINAL DISTANCEの印象はどう違っていただろうかな。発表順というのは本当に重要だ。