無意識日記々

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考えたって仕方がない事を考える

毎度々々「J-popというジャンルはもう無いに等しい」なんて風な言い方を私はしているが、それはあクマでコンテンツを売る商売として、ソフト市場の話として、である。言うまでもなく往年のJ-popアーティストたちの多くは健在で、皆元気に活動している。特に昨今のライブ・コンサート・ツアーとロック・フェスの隆盛は特筆に値する。そういうのに慣れ親しんでる層からすれば私の戯言なんぞ「何を言ってるんだ」としか思えないだろう。

その、市場と興業のアンバランスさを端的に体現しているバンドのひとつが皆さんお馴染みGLAYである。彼らは、新しく出しているシングルCDの累計売上枚数よりも多い数の人間を僅か一夜で集める事が出来る。嘗て一度に単独で20万人の人間を一ヶ所に集めた事さえあるのだ。フェスティバルなら兎も角、単独のグループとしてのこの集客力は国際的な基準からしても異常である。あれから十数年経ってもその集客力は健在だ。

面白いもんである。新曲を発表したタイミングでのツアーに、6000円とかそれ以上のチケット料金を払って駆け付ける人間の多くが、その新曲を買っておらず、実際に目の前で演奏したとしても地蔵なのだ。それは極端な言い方にしても、コンサートとコンテンツというものは斯様に乖離している。昔と違って、幾らツアーをしても新曲のプロモーションにはならないのだ。いやそれも極端だけども。

この後ヒカルが復帰してきたとして、どちらに転ぶかは見ものである。つまり、新曲を出してもそんなには売れないけれどもツアーで客は入る、のか、新曲はメッチャ売れたけど集客はそれほどでもない、のか。勿論新曲がメッチャ売れて集客力も抜群であれば言うことないのだが、果たして"世間"がヒカルをどう見ているかをここらへんから窺い知る事が出来るかもしれない。

ヒカルがいちばん期待されているのは「J-pop市場復活のキッカケを作る事」、なのだろう。しかしCDシングルの売上でAKB他を上回るのはほぼ不可能だ。昨年印象的だったのは、あのアナ雪さんがレリゴーをシングルカットしなかった事だった。もし仮にシングルCDが出ていたら一体どれ位売れたのか? 考えてみるのは興味深いが、流石にAKBに勝てるとは思えない。せいぜい70万枚位が限度だろうかいやそこまでも無理かな〜。

しかし、そこでの勝負を挑まなかった代わりに各配信チャートではレリゴー師匠が軒並み年間1位を獲得した。iTunes StoreでもAmazonでもレコ直でも。ある意味、CDシングルをリリースしなくて正解だったかもしれない。AKBさん達には及ばなかったものの健闘した、という煮え切らない評価を差し挟む事なく、「2014年といえばこの曲、ぶっちぎりで年間No.1」という触れ込みで君臨し続ける事が出来たのだから。よく出来た話です。

なのでヒカルも、「負ける(とわかりきっている)土俵には初めから立たない」というのが必要になっていくかもしれない。現に2年前の桜流しではCDシングルを出さずDVDシングルと配信での販売だった。既にその傾向は出ている。寧ろここから、自ら率先して「新しい基準」を必要とするマーケットを開拓していけたらいいのにな、とは思う。

例えば、Youtubeの再生回数や再生頻度は新しい基準になり得るだろう。勿論これは様々な問題を孕んでおり現実に権威を持たせるのは危なっかしい。何よりあまり商業的でないのでレコード会社が乗り気ではないかもしれない。それでも、(これでなくても)新しい基準を皆欲しているのだ。

ストリーミング・ラジオで、曲が一回かかる毎に"評価"をワンタッチで送信できるようなシステムとか、ポータブル・プレイヤーの再生回数をクラウドで把握する技術とか、色々考えたくなるが、やっぱり「お金を払って買う」という行動と直結している基準がいい。…のだが、今夜もやっぱり思いつかなかった。ヒカルの復帰迄に、何か考えを整理しておきたいなぁ。