無意識日記々

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予想は止そう

「復帰後のヒカルの作風を予想してみる」試みは、総て徒労に終わる。今から過去の12年なりを振り返って眺めてみても、曲が生まれてくるのに何の脈絡もない。中には、Beautiful Worldで母性を仄めかせStay Goldでそれを自覚的に描く、とかAutomatic〜Movin' on without you〜First Loveの失恋3部作とか、歌詞やテーマの上では繋がりを感じさせたりといった事がなくはなかったが、音楽的一貫性という点では訳がわからない。誰しも10年もやっていればサウンドに個性や癖が出てくるものだろうに、それがないのだ。

それを改めて痛感させられたのが宇多うたアルバムで、あれを全部初めて聴いた人に「これ、たった1人が作曲したんだよ」と言っても信じて貰えないだろう。それ位に多彩である。

The Beatlesのカバーは世の中に山のように存在するが、そのどれもが、余程奇を衒わない限りThe Beatlesの曲とわかる。たとえそれが今までに一度も聴いた事のない曲だとしても。それだけのみならず、かなりの場合に於いてそれがジョン・レノンの曲なのかポール・マッカートニーの曲かがわかる。それくらい、偉大な作曲家というのは個性と癖が強い、のに…。

毎度主張しているように、作曲家ヒカルを1つのペルソナとして繋ぎ止めているのは歌手ヒカルであって、あの独特の歌声無しに統一感は得られない。宇多うたアルバムがピンと来なかったファンの大体は、普段ヒカルの声をこそ「とっかかり」と見做していて、それがない宇多うたは捉えどころが無いのである。

作曲家としての無数ともいえるペルソナを歌手ヒカルという1つのペルソナが繋ぎとめる。これが宇多田ヒカルの構図になっている。

裏を返せば、あの声で歌えないような曲はなかなか書けないし、あの声をとっかかりにすれば、ギリギリヒカルの次の作風が予想出来るかもしれない。

あの声がいちばん似合う作風といえばPrisoner Of Loveだろう。ヒカル自身もこれが「王道」というし、Flavor Of LifePrisoner Of Loveに続くOfシリーズを次に繰り出してくることは十分に考えられる。

発声からすればマイナー・キーの哀愁漂う美旋律を切なく歌う、ブルーズ・ベースド・ハード・ロックかリズム&ブルーズが合う訳だが、そんな中、ヒカルはかなりの頻度で"ダンス・チューン"を書いてくる。travelingやCelebrateやGoodbye Happinessだ。こういった傾向の曲が来る、という予想ならたてやすい。

1つそこで横槍を入れるなら、2010年代に相応しくEDM的なサウンドを取り入れてくるかどうかも気になるところ。ヒカルが引っ込んだ2010年辺りはまだEDMはシーンを席巻するような段階ではなかった。今という時代に於いては既に定番化している感があり、このブランクは辛い。取り入れれば今更だし、取り入れなければ"アナクロなダンスチューン"と揶揄されるだろう。

ここで考えるべきなのは多分、かつての冨田謙のようなサウンド・プロダクション・パートナーをまた迎える事か。それこそ彼でいいような気もするが、まぁそれは楽曲単位で調整していけばいいだろう。いやヒカルくらいになれば本職さん呼んだ方がいいのかもわからないが…。

まぁいいや、もっと踏み込んで言えば、そもそもヒカルは今後も"ダンス・ナンバー"を書いてくるのかどうか、である。ヒカルの生活の中でダンス・ミュージックがどれだけリアリティをもって今も息づいているか。ポイントはそこだろう。結婚しても夫婦で揃ってクラブに出掛けたりするものなのかなぁ、、、。そこらへんが私、気になります。