無意識日記々

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跳ぶ縄に縛られる事のないように

復帰すると言っても大縄跳びのようなもので、こうしている間にも事態は刻々と変化していくので宇多田ヒカルを取り巻く環境なり渦巻く評判なりといったものもまたずっと同じではいられない。えいやっ、と飛び込んでしまえばなんてことないのだが、引っ張り続けると縄をくぐるタイミングをずっと逃し続ける事になる。

ただ、今「J-pop市場」というものが機能しているかというとわからない。興業が活況なのは2015年も変わらずという雰囲気だが、今の日本で「今風の音」といってもどれの事だかピンと来ない。

流行とは、何も本質的に新しい必要はない。古くは60年代にリズム&ブルーズと呼ばれていたものがR&B(アール&ビー)と呼ばれるようになったり、80年代にハードロックがヘヴィメタルに、90年代にはパンクがメロコアに、それぞれ呼称が変わったりしたが、それは次の世代の"大体同じ"音楽の為のネーミングに過ぎなかった。10年代でそれにあたるものといえばEDM(イー・ディー・エム)か。これも昔は"ダンス・ミュージック"と呼ばれていたものがこう呼ばれるようになっただけで、リズム&ブルーズとR&Bの関係と同じである。なおEDMというのは宇多うたで浜崎あゆみがやってたヤツね。

そういう"新しいジャンルの呼称"が今の日本にはない。あるのかもしれないが私は知らない。例えばMan With A MissionOne Ok Rockは一時代を築きつつあるが、ああいうのを若い子たちは何て呼んでるんだろ? ムーブメントと言えるまでにはなっていないのか。

宇多田ヒカルは既に「一回デビューした」アーティストである。いや別名義ならあと2,3回デビューしてますがね。その人が「旬」を担うのは考えづらい。大御所として"定番"を求められる。ある意味、自分のタイミングで大縄跳びを回して貰えるのだ。

しかし、ヒカルにはポジションとしての"定番"がない。我々80年代を生きた人間には例えば「夏はサザン冬はユーミン」みたいな決め付けがあった。それに大御所たちは応え続けた。そういう感触がある。

戻るべき定番のサウンドもなければ、今の流行もわからない。一体立ち位置はどこらへんか。そりゃあ、「宇多田ヒカルは…宇多田ヒカルだよ」と言い切ってしまえればいいのだが、それを言い切るには凄まじい売上を記録しないといけない。それこそ、1人で1ジャンル分な売上をあげないといけないし、過去に実際にそうだったのだ。

だから、オファーがあるのはとてもいい。何を作れてしまえればOKなのかが明白だから。相手のコンテンツ次第、という"カメレオン的な職人芸"というのが、今のところ安心して期待できる方向性だろう。

ただ、それは技術的な話であって、"本当に待っているファン"はもっと心情的に報いられる事を希望している。ヒカルを身近に感じられるか否か。結局はそこから出発せねばならず、その摺り合わせをどこでどうやるか、だ。過去の曲の続編とか悪くないけど、復帰直後にやっちゃあ「ネタ切れ」との印象が拭えないからもうちょい先だな。ひとまず、タイアップとコラボレーションにwktkしながら、「素のヒカル」が感じられる曲が来るまでのんびり待つとしますか。僕らは、大縄跳びを回している必要なんてないんだから。