無意識日記々

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変わり者でも変わらない生活習慣

ヒカルのリリース形態の変化の可能性に関してあれやこれや語っているが、こちらのリスナーとしての様態に変化があるかというとそんな劇的に変わってはいない。私個人の事を言えば、相変わらずラジオを聴いて、気に入った曲やアルバムを借りたり買ったりして、気に入ったアーティストのライブに足を運ぶ、そういうのがもう20年以上続いている。

特に、音源を買う方法は増えた。大昔はアナログレコードとカセットテープだったのが、CDが生まれ、CDシングルが普及し、MDに録音するようになり、PCとインターネットによって大容量記憶と配信購入が可能になった。ただ、選択肢が増えて且つ圧倒的に音源管理がラクになったというだけで、未だにCDを買うことも多い。中古盤や輸入盤なら配信より安かったりするんだし。

ラジオで聴いて、というのもAMやFMにインターネットラジオが加わっただけで、特には何も変わってない。選局が増え、録音もラクになったが、自分が気に入る曲をかけてくれそうな局や番組にアクセスするという基本は同じである。

いかにストリーミングがパーソナライズされようともそれは変わらない。精度が上がる(かもしれない)というだけだ。まだ見ぬ曲との出会いの場という意味での"ラジオ"は、廃れるどころかネット時代に入って以降息を吹き返しているともいえる。ただ、割合からいえば大半のユーザーがそれを動画サイトのレコメンドに頼っているようではあるが。


ともあれ。そんななので、ヒカルの活動形態、リリース形態に変化が必要なのではと思うのは、私個人からみた風景ではない。今までどおりシングルCDを出しアルバムCDを出したまにライブをやってくれればよい。まぁCDがハイレゾ配信になってもいいし。そんなに変わらん気がするが。

なのにこれだけ延々論じているのは…なんて言うんだろ、"ヒカルが気にしそう"だから、だろうな。ただのほほんと制作を続けて、馴染みのあるオールド・ファンにアピールする音楽を提供するのなら、今まで通り変わらずやるのがいちばんだ。人間、歳をとればとるほど変化が億劫になり変わらないものに惹かれるようになる。それは退屈と紙一重だが、うまくやれれば一生安泰である。

ヒカルはそれを、相変わらず、欲していないだろうなぁと。ならば次の活動は何らかの意味で、どこかしらのレベルでチャレンジングであるに違いない。それは、アピアランスの面でなのか歌詞の面でなのか音楽性なのかリリース形態なのかプロモーション形態なのかさっぱりわからないが、兎に角どこかは変化させてくる筈だ。変わっていなければ意味がないしこれだけ年月を経れば変わっているのが自然だ。そのうちのひとつとして、リリース形態の枠組みの話を持ち出してみせているに過ぎない。

あと、何よりも、リリース形態の変化は音楽性にも影響を及ぼす…という話からまた次回、かな。