無意識日記々

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男女差(※内容と無関係なタイトル)

こうやってHikaruの新曲を待つ間は大体昔の作品をローテーションで聴いているのだが、私の場合、自分でも意外なんだけど、いちばん再生回数の多いアルバムは「This Is The One」だ。曲単位だと桜流しがダントツだけどね。

理由は結構単純で、曲が短いからだ。大体3分台の曲ばかりで10曲なので40分足らずで終わってしまう。勿論Simple And CleanとSanctuary OP&EDも聴きますねんけど。だから生活の中で手に取る(実際にはキーで選択しているだけだが)中でこれに手が伸びる。至って単純。Hikaruのアルバムはどれも気合いが入っていて、正直曲のクォリティーという面ではいずれも大差が無い。成長している面もあるが、それも結構「若さ故のぎこちなさ」や「青臭さ」と引き換えに手に入れている、なんていう言い方も出来る訳で、どれもその歳のHikaruの全力だなぁと感慨深くなる。

元々、私個人は長い曲が大好きな方である。「21世紀で最高の曲は何?」と訊かれて最初に思い浮かぶのがTRANSATLANTICの「旋風」で、これは約80分の曲だ。次に思いつくのはZABADAKの「夏秋冬春」で、こちらは約40分の組曲である。「長いから退屈」なんて多分死ぬまで言わないタイプの人間だ。退屈な曲は最初の10秒から退屈なだけだし、退屈なパートがあるのならそれを削るべきなだけで決してそれはランニング・タイムが長いせいではない。

理屈っぽくなった。私の文章は長くなり過ぎると退屈である。(それは言うんかい)

20世紀最高の名曲のひとつにThe Beatlesの“イエスタデイ”があるが、2分で終わる。名曲に長さなんか必要ない。要点だけをまとめて、簡潔であればあるほどよい。さっき私が書いた事と矛盾しているように思われるがそうではない。大事なのは焦点の定まった構成力であり、その結果として楽曲はある長さを"必要とする"のだ。「旋風」や「夏秋冬春」から幾つかパートを省いたエディットバージョンが発表されても私は喜んで聴くが、それがオリジナルバージョンより"よくなる"保証は無い。変わらないか、やや悪くなるのが普通だ。名曲とはそういうものだ。エディットしてオリジナルバージョンより凄いものが作れるのはピンク・フロイドくらいだろう。

今日は話が逸れ易いな。Hikaruの曲に無駄が多いとは思わないが、This Is The Oneのような作風で作れるならもっと作ればよいのでは、と思うのだ。10分の自由時間が取れる、という時に4〜5分の曲なら2曲聴けるが、3分の曲なら3曲聴ける。なんかそっちの方がお得な感じがする。

確かに、This Is The Oneは10曲しかないし、アイデアの密度も濃くはない。しかしメロディーの強さは他のアルバムと遜色ない。アルバム全体を通して聴いた時の満足感はEXODUSの方が高いが、短い時間でHikaruのフルアルバムの構成、バランス、バラエティーをしっかり味わえるというのは本当に強い。

逆説的だが、音楽を聴く単位が曲かアルバムだとすれば、長いアルバムは曲単位でつまみ食いする機会が増える。しかし、アルバムのランニングタイムが短ければ「通して聴いちゃおうか」となれるタイミングに恵まれやすい。結果、再生時間の合計は短いアルバムの方が長くなる。奇妙だがそうなのだ。曲な長さは、愛する期間が長くなればなるほど問題になってくる。This Is The Oneの再生時間は、今後もどんどん増えていきそうだ。