無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

躊躇いは要らない。

今朝は携帯が強制終了して休載となった。強制終了自体は初めてではないし、普段は書きながら逐一保存しているので大体は事なきをはじめとする得ているのだが、何故か今朝は一度も保存していなかった。初歩的に過ぎるミスで呆れるわ。強制終了の原因は、「ソフトバンクとドコモの電波が干渉し合う特定のポイント」で起こる、らしい。説明はさっぱりわからないが、現実に特定の場所を通過する時に複数回強制終了しているので、本当なのだろう。しかし、あほだなぁ。しっかり初心を見つめ直すというか、ちゃんとしようよ。

今年のテーマは勿論「再デビュー」である。原点から再出発と言いますか。ヒカルはもう何度もデビューというものをしている訳だが、清々しさという点ではいちばんではないか。

いや、そりゃあ、今年は本当の再デビューではない。名義が過去と同じ宇多田ヒカルだからだ。しかし、気分は再デビュー、これは間違いないだろう。再びお邪魔しますというか。寧ろ、そういう気持ちにでもならないと復帰しづらいんじゃないかなと。

初心に帰るとか原点回帰とか、帰る場所があってそこがそうだと知っていないと出来ない事だ。

First Loveという名前は、1(First)と0(Love)で出来ている。場所が2つ以上あればそこには距離(Distance)が生まれ、時間や物事がそこに沿って川のように流れていく(Deep River)。川はやがて蒼き海に流れ出でて大空を仰ぎ見た(ULTRA BLUE)。空はというと目を閉じたまんまだったかもしれないが。

そして、Heart Stationであった。Heartとは心。中心とか重心とかいう時も心と書く。Stationは局。シングルのジャケットからしてこれは第一には放送局の事だろうが、銀河鉄道の夜をモチーフにしたテイク5を聴くと、それは駅の事だったのではないかとも思えてくる。事実、銀河鉄道とはジョバンニとカムパネルラが(なんだ、2人の名前って携帯の予測変換に予めインプットされているのだな、麗しい)、次から次へと心の駅を停まり進んでいく道筋であった。Heart Stationはそんな解釈も可能である。ULTRA BLUEの大空と大海原から、大宇宙に飛び出した。しかしそれは、己が心の旅でもあったのだ。その果てがSingle Collection Vol.2のジャケットだったと考えれば合点がいく。

ヒカルは帰ってくる。どこに、どんな風に? そして、そこから始めて、今度はどこに行く? 山は登ったら降りるもの、また違う山を登るのだろうか、それとも。

さてこういったイメージの数々を視覚化すべきか否か。文学的表現は文字と言葉で表してこそというのは真理だが、ヒカルはポピュラー・ミュージック・アーティスト。遠慮なくわかりやすくなるべきだ。今回どこに帰ってきて、何を目指してアルバムを作ったのか、どこかで映像監督宇多田光がわかりやすく具現化する事に躊躇いは要らない。もっとヒカルの事をわかってもらおうそうしよう。どれだけわかっていったって常にそこから先があるのだから出し惜しみなんて意味のない事はやんなくていいのんさ。