無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

出戻りモードで

あー今日が道の日だったのか。前回の話は今回するべきだったな。惜しい。こういう惜しさを修正するには何十年もかかったりするんだが、取り敢えず前回する筈だった話を今回取り上げて修正をはかってみよう。

昨日は8月9日。ニューアルバムの詳細が発表された訳だが、ちょうど6年前の2010年8月9日は『久しぶりの大事なお知らせ』が掲載された日だ。6年。長かったんだか短かったんだかよくわからないが、取り敢えずこれで「収束」或いは「回収」だろう。といっても、人間活動自体を止める必要もない。ただアーティスト活動休止を解いただけ、でもある。せっかく時間をとったのにまた元の生活に戻るだけじゃ意味ないもんね。

かといって、どう変わったかというのを論うのもまた、煩わしいというか図々しいというか。変わったんだけどあなた達からは同じようにみえるように、という変わり方もあれば、変わった事自体をアピールする事もあるし、6年経って色々と気が変わった事もあるだろう。となると、そうだな、相変わらず、自然体で。それで、悪くない。

寧ろ変わったのはリスナーの方であって、6年も待たされたらそりゃ飽きる。暮らしの中で、6年分何かの時が止まったまんまのものも、そうそうないだろう。

昔話「ロイヤル(loyal)」なんて言葉を使った。忠誠心。6年もひたすら待ち続けていたのなら確かにそう呼べばいいだろうが、うーん、まぁ、今回戻ってきてくれればそれでいいか。そだね。

6年の成果、を殊更強調する必要はない。アルバムに語らせよう。そこに、刻まれている。あとはそれを読み取るだけ。待ってたかどうかも関係無く、ただ、耳を傾けてくれるかどうか、だ。「あらためてファンになった」と言ってくれる人も出てくるだろう。出戻りとかよりを戻すとか言い方はあるが、常にただひたすら音を聴いて判断してくれていれば、自ずと『Fantome』に引き寄せられていくだろう。そこには、6年だか4年だかのブランクは関係がない。ただひたすら今奏でられる、音。あとはそれ自体が人を呼び寄せられるかどうか、だ。楽しみにしている。それにしても、新しいアー写、ぱっと見誰だかわかんないがそれも狙いなのかな。