無意識日記々

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Mail to who? Message from who?

15年前の今日はファンメールを千通読んでメッセを四回更新してたのか。遠い昔とはいえ隔世の感。今のオフィシャル・サイトでは『Mail To Hikki』も消滅し『Message from Hikki』も『MORE』の中に押し込まれ、辛うじて『Mail To Staff』のみが名前を変えてちんまりと継続しているのみ。時代は変わった。

もしこれでTwitter社が潰れたらと気が気でない。なんであれがいち私企業なんだといわれのない愚痴も言いたくなる。ツイートとリプライ、そしてリツイート、さらに「いいね」などで随分と『Mail To Hikki』と『Message from Hikki』の代替が出来ているのだから本来は感謝しかないが、それって順番が逆かもしれないなとも思う。TwitterがあったからMailもMessageも奥にしまい込んでしまってよかったのだ、と。

これを「昔はよかった」と言うつもりはない。それぞれにメリットデメリットがあり、それを活かして活用するだけだろう。あとはTwitter社の動向に左右されない備えだけあれば。いつも赤字だ赤字だと喧伝するものだから不安になってしまうが、今や週刊誌程度の認知度はあるのではないか? バンバン広告を請け負って大丈夫だと思うんだが。呟きと同じサイズにするから邪魔なので、小さいフォントで一行広告を打つんだったらツイートごとに挟まっててもそんなに気にならない気がするんだが…って余計なお世話ですね。それはさておき。

要するにファンとの距離感、ありようというものが変わってきたのだろう。幾ら天才でもデビュー当時はミドルティーンだ。実存的不安に苛まれながら日々を送っていたとしても不思議はない。まぁありていにいえば、恋人と熱心な時はメッセの感覚が空く、とかそういった事だったのかもしれない(きりやんとつきあい始めてからメッセの量が減ったからねぇ)。本人曰わく、バートナーを切らした事がないそうなので、相手によって熱心の温度に色差がついていた、という事か。内情はわからない。

今は夫…というより息子がいて、実存的不安は外側から立ち上がるものとなった。確かに、ファンとメッセージのやりとりをしている場合でもないのかもしれない。こちらも、「元気ならいい」と実家の爺婆感覚で見守っている節がある。

あとは、最近新しくファンになった10代の人たちにとってどんな存在なのかという事だが、某かやりとりするならラジオ番組をやってお便りを募集するのがいちばんわかりやすいかな。それを通じての交流ならクリアに責任の所在と方法論が明確になる。今度はそういう番組もいいかもしれん。