無意識日記々

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「でも、総てはもう遅い。」

両面待ちといっても積極的なのか消極的なのかよくわからないんだけどな。

人として、と言っても近年ヒカルからのアウトプットは、主に『Message from Hikki』的な意味で目減りしているから今のヒカルがどういう人なのか、というのは実はよくわからない。が、ツイートの端々から窺える感性は「特にこの人変わってないな」と確認させるに十分な材料だろう。定期的にラジオでもやってくれりゃいいんだけどね。

「当初の誤算」というのは、ある。昔、大体2000年頃位までは宇多田ヒカルという人は天才過ぎて、歌にとどまらない活動に手を伸ばすのではと予想していた。レオナルド・ダヴィンチのように、あらゆる方面で一流の仕事をするような。デビュー作で掛け値なしの頂点に立ったのだから以後どんな活動でもできるだろう、音楽性云々より人として興味がある、という視点に立った場合、こちらに届くアウトプットが存在すれば何でもよく、それが音楽に限られる必要はない、そう思っていた。

だから売れまくってるのに大学に行くときいた時も、嗚呼きっと色んな事がやりたいのだろうなと解釈していたのだがそこらへんから事情(こちらの解釈)が変わる。ますます音楽制作のペースが早くなり、音楽への「これ賭け感」が強まっていった。特に『FINAL DISTANCE』以降のフロー状態、イン・ザ・ゾーンなアウトプットの数々に「命削り始めてない?」という疑問を抱くに至った。ここから3rdアルバム、1st、4th、5thと「これ賭け感」そのままの作品を次々発表していく。思えばこの20代前半に極端に音楽に振り切った生活を営んだ為、有り体に言えば脳の形が決まってしまった。故に「歌は家業」と言われて「ああ納得だよ」と最終的に言うしかなかったのだ。

だからこちらも音楽に、歌にこだわっている。私の中ではそういう順序なのである。それまでは、歌うのはいつでもいいし、小説を書いたり声優に挑戦したり(誰だ笑ってんの)科学者になったり(これは『EXODUS』の頃まで言ってた)と人生を多角的に構成するのについていこう、なんて思ってたのだけど、今やこんな感じ。脳の形が決まる頃に音楽で塗り潰したのだからもう後戻りはできない。

6年半の間音楽以外の活動もあっただろうし一時期はもう曲が書けないのではないかと落ち込んだりもした。でも、総てはもう遅い。音楽以外に携わってもそれは息抜きでしかないし、代わりに歌えば必ず成功する。つまり、歌って成功するか、歌わずに大人しくなるかの二択でしかない。きっと小説を書いたら素晴らしいものが出来上がるだろうが、何年もかけて書き上げた長編小説より2時間で作った歌の方が評価が高くなるだろう。そうなるように生きてきてしまっているのだから。なので人としてみても音楽家としてみても同じなのだった。