無意識日記々

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SF="Dressed-Up Album" ?


発売されて全編を聴いて以来、『SCIENCE FICTION』を“ベスト・アルバム”と呼ぶ気がすっかり失せてしまったという話は既にしてきているが、じゃあ代わりに何て呼べばいいかというのは結構頭を悩ませている。


(ここでかなり古い例を挙げるが私の原体験の一つなので少々ご勘弁を)


その昔、1989年(あらもう35年も前ですか)にTM NETWORKが「DRESS」というアルバムを発表しまして。今思えばデビュー5年目オリジナル・アルバム6枚でこれをリリースしてたって結構とんでもない事なんだけど、当時はただひたすらカッコいいアルバムだと何度も聴き返していたのです。


その中身はというと、過去の5枚のアルバムから人気曲を「プロデュースし直して」収録した彼ら(というか小室哲哉)曰く“リプロダクション・アルバム”と呼ぶものだった。単なるリミックスに留まらない、数々のプロデューサーを招聘して楽曲を再構成して貰うという、当時中学生だった私にとっては斬新極まりない発想を詰め込んだ一枚だった。今思えば、この後90年代に「プロデューサー・ブーム」を巻き起こす小室哲哉は、逸早くプロデュースの重要さを見抜いていたともいえる。まぁソロアルバムを自分で歌っちゃう脇の甘さも見せてたけども。


そういう作品を幼い頃に通過している為、『SCIENCE FICTION』もそれに近いコンセプトかなと当初は解釈しようとしたが、根っこの思想がまるで異なる事に気がついて辞めた。「DRESS」も、発想の斬新さと技術の興味深さが漲っているとはいえ、結局は「昔の曲を聴こう」というスタンスなのは変わらず、つまり、変則的とはいえそれはベスト・アルバムの一種であると言って良かった。実際自分は「Gift For Fanks」(1987年に発表された至って普通のTM NETWORK初期ベスト・アルバム。ただ、“Get Wild”がアルバム初収録作品なので必携だった)より先にこの「DRESS」を聴いていた為、彼らの過去の曲を覚えたのはこちらだったので、よりこの作品をベスト・アルバムだと認識する気持ちが強い。


しかし『SCIENCE FICTION』は、前にこの作品のタイトルは「SCIENCE FICTION 2024」の方が良かったんじゃないかと主張した通り、「現在」に主軸がある一枚だ。「過去の偉業を振り返ってみよう」という態度は、少なくとも作り手側には希薄だったと言える(聴き手側は好きに捉えたらいいもんね)。そうね、描写するなら


「様々な段階の“途中まで作ってある曲”を取り上げて、今の感性で完成までもっていってみたアルバム」


という風に、なるかなぁ?


つまりこうだ。普通のオリジナル・アルバムは、総ての曲を、何もない状態から、作詞作曲から始める。そうしてそこから、編曲して歌唱して演奏して、それらを録音してミックスしてマスタリングして、完成だ(大雑把にいえばね)。だが『SCIENCE FICTION』では、この各段階が予め何ステップか終わってる素材を使って新作を作った、という言い方をするべきではないかなと。即ち、


・作詞作曲すら始まってなかったのが新曲。

・作詞作曲まではあり物の素材を使ったのがRe-Recording曲。

・作詞作曲編曲実演録音まではあり物を使ったのが2024 Mix曲

・作詞作曲編曲実演録音ミックスまではあり物を使ったのがリマスター曲。


という具合。今まで散々この日記で繰り返してきた話ではあるけれど、その見方を完全に「現在」からの視点からに座標変換して読み換える事が肝要だ。それによって得られるのは、詰まる所リスナーが、


「2024年の宇多田ヒカルの作詞作曲」

「2024年の宇多田ヒカルの編曲と歌唱」

「2024年の宇多田ヒカルのミックス」

「2024年の宇多田ヒカルのマスタリング」


をそれぞれ「分けて」認識出来るという点。これに尽きると思われる。


普通の新作、オリジナル・ニュー・アルバムだと、このように分解して分析するのは時に難しい。何しろ、作曲も編曲も歌唱も全部その時の最新なので、それらの特徴や特性はまとめていっぺんに提示されるからだ。


しかし『SCIENCE FICTION』では、過去の音源と比較する事で、それぞれの各段階を分けて認識して分析する事が可能となった。これは地味だが物凄く斬新かもしれない。


というのは、宇多田ヒカルの音楽的才能の多彩さを、今までは一括して受け取っていたのが、今やこの作品によって


「作詞作曲家宇多田ヒカル

「編曲家宇多田ヒカル

「歌手宇多田ヒカル

「ミックスアドバイザー宇多田ヒカル」(技術的な事はしないそうなので、助言者ですね)

「マスタリングアドバイザー宇多田ヒカル


といったそれぞれの仕事の特色として浮き彫りにする事が可能になったからだ。


ここに関しては難しく考える事はない。リレコーディング曲を聴いて「昔より爽やかになった!」と思えばそれは「2024年の編曲家宇多田ヒカルと歌手宇多田ヒカルは昔より爽やかになってる」という意味だし、リミックスを聴いて「昔よりもバックコーラスがよく聞こえる!」と思ったならば「2024年のリミックス・アドバイザー(要はプロデューサーだね)宇多田ヒカルは昔よりバックコーラスを重視している」という意味になる。それだけの事だ。


今迄は「音楽家宇多田ヒカルの現在の傾向」としておおまかに捉えていたものがより精細に各役割の特色として認識出来るようになる、それが『SCIENCE FICTION』というアルバムの勘所だとすると、じゃあこのアルバムはベスト・アルバムでなくて何と呼ぼうかとなったときにふと「着せ替えアルバム」という呼称に思い至り。“Dressed-Up Album"ですね。…あ。結局TM NETWORK の「DRESS」に近い呼び方になっちゃったw


これは単に服を着せ替えるだけに留まらず、誰に着せるかから自由自在な…と書く私に思い浮かぶのは、22年前のロング・インタビューの一節。


「そう、だから『ナイスバディだよね』っていうバービーちゃんの人形がそういう基準としてあって、そこにどんだけ格好いい服を自分が作って着せられるかっていうことではなくなってしまったの、もう。『そもそもどんな女の子に服を着せたいの?』っていうところから始まって。それまで誰にも『リカちゃんじゃなきゃダメだよ』って言われてたわけじゃないのに、『あ、勝手に自分でスタート地点を勘違いしてたのかな』って思うぐらい、今まで作業を始めるっていう気持ちだったところが、『それレースの途中じゃねえかよ!』っていう感じで、もう1回スタート地点を発見してしまって」

https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/utadahikaru/gallery/backnumber/interview2002/p10.htm


詳しくはリンク先を前後も含めて読んでうただきたいが、ここでヒカルが言う「スタート地点」を自由自在に取ったのが、『SCIENCE FICTION』なのだろうなと、今回はそう結論づけておきたい、とそういう話なのでありましたとさ。嗚呼、なんて自己満足オンリーな日記なの!