無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

2017年05月08日のツイート

清純さと正準さと

『荒野の狼』は冒頭から順番に作っていった曲なのかどうか、という話。結論からいえば、「わからない」。身も蓋もないが、順序通りとしてもバラバラを繋ぎ合わせたとしても、どちらで捉えてみてもどうもしっくり来ないのである。そして、それこそが『荒野の狼』の特徴なのかな、と思ったりもするのだ。

なりくんとの話などを総合すると、この楽曲は、先にタイトルや歌詞のテーマが決まっていたのではなく、後付けでタイトルが決まったタイプなのでは、となる。つまり、このサウンドは、必ずしもヘッセの「荒野のおおかみ」をイメージして作られた訳でもなく、かといって本当に全く関連していないかといえばそれもそこまでじゃない、という程度の連想度で彩られている。前に私は、この曲を愛でるにあたってヘッセの小説を読む必要はない、と書いたのにはそういう背景もある。読む前と読んだあとで『荒野の狼』に対する理解度はさして変わらない。必要な事はきっちり歌詞に入っている。


恐らく、最も単純な解説は、「歌詞に合わせてサウンドが構成された」というものである。東京五輪エムブレム問題をディスってるのかな?という感じのヴァースと、センシティヴでロマンチックなブリッジからコーラスへの流れの歌詞的な対比が、あのスカスカのタテノリサウンドと、ストリングスをフィーチャーした壮大なサウンドの基礎になっていて、その両者を繋げるのが今までにない(珍しい)ホーン・セクションだ、というのが標準的解釈になるだろうか。その二面性がヘッセの「荒野のおおかみ」を連想させた、と。この場合の「荒野のおおかみ」は“飼い慣らされていない野生”の比喩程度に捉えておけばよいか。小説の本質云々より、言葉の響きと、キャッチフレーズとしてのフックのよさで採用されたように思われる。そもそもキッカケなりくんだし。

それはそれでいいとして。であったとしても、それでもこのサウンドの組み合わせは違和感を感じるというか、もう少し突っ込んで探ってみたいという気になる。次回もこの話の続きかな。

前半と後半の話がとても関係ない

なお、「東京五輪エムブレム問題」ってのは歌詞でいうと『お互いを肯定する輩』って部分だ。説明要るかなぁ。

本気で批評せずに兎に角お互いが褒め合って需要と供給が閉じたサイクルで完結しているグループってのが世の中には居るもんで、某佐野研さんの周辺ではそうやって賞レースを持ち回りしてたんじゃないのという疑惑がかけられていた。私が言ってるのはそこの部分。


それにしても。『荒野の狼』の冒頭部分の歌詞は本気で異様である。試しに箇条書きにしてみよう。

・『惚れた腫れた 騒いで楽しそうなやつら』
・『そうだそうだ お互いを肯定する輩』
・『まずは仲間になんでも相談する男』
・『カッコいいと思ってタバコ吸う女の子』

いやはや。これつまり、「ヒカルが嫌いな人間のタイプ」の話だよね。こんなに堂々とディスってくるとは思わなかった。いやヒカルは言い訳がましく「これ歌詞だから。私が思ってるとは限らないから」って言うかもしれないけど…いや、言わないなw これはヒカルが嫌いな人間性4タイプの羅列であると断言しよう。

だって、『やつら』の時点でかなり悪態ついてるだろうに、次にたたみかけるように『やから』だぜ。言い過ぎ(笑)。唾棄すべき存在とでもいうのか。

「なんちゃって」で「本気でない」タイプが特に嫌いという事だろう。なんだあれか、ヒカルは中高の頃女子同士で連れ立ってトイレに行かなかったのだろうか。

更にすぐ次で『偽物の安心』『悪者探し』とくるので、言いたい事がますます顕在化する。これはメディア批判だろうな。今の日本じゃ寧ろ多数派なんじゃないだろうか。

そこから『私たちには関係ない』とピシャリとやってくれるのだから頼もしい。『SAKURAドロップス』の『それとこれとは関係ない』とはまた違った『関係ない』だわな。そういや今日は『SAKURAドロップス』発売15周年記念日だわな。こっちは15年と言われたら「それくらい経つわなぁ」と納得する。「死の舞踏から14年」と言われた時の「もうそんなに経つの!?」という驚きとは対照的だ。ことヒカルに関しては時間なりの積み重ねが自分の中にはある。

で、15周年記念盤は…出ないわな。代案として、15周年を記念して『Letters』のPVを作ってくれはしないかという希望はある。両A面シングルと言いながら、『SAKURAドロップス』の方しかミュージック・ビデオが制作されなかった。詳細は不明だが、ファンの方はどうしたって「倒れたから撮影ができなかったんだ」と解釈せざるを得なかったのだ。倒れる5月。

なので、雪辱である。もしタイミングが合っていれば『宇多田ヒカルのうた』の時に「本来なら宇多田ヒカルで撮影していた筈の『Lettfs』のPVをそっくりそのままやる予定だった通りに椎名林檎が演じる」という企画が実現していたかもしれないが、それもなかった。あと、YouTubeにないから『Letters』の人気がわからん。まぁそれは別にしゃあないか。

色々ひっくるめて、今やスタンダード化した過去の名曲のビデオを今作る、という企画は、『Letters』でなくても、いつかどこかで実行にうつしてみるのも面白いかもしれない。やっぱり映像があると人気出るからね。今は皆YouTubeで音楽を楽しむ人がいちばん多い訳だから。どうですかね沖田さん?