無意識日記々

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清純さと正準さと

『荒野の狼』は冒頭から順番に作っていった曲なのかどうか、という話。結論からいえば、「わからない」。身も蓋もないが、順序通りとしてもバラバラを繋ぎ合わせたとしても、どちらで捉えてみてもどうもしっくり来ないのである。そして、それこそが『荒野の狼』の特徴なのかな、と思ったりもするのだ。

なりくんとの話などを総合すると、この楽曲は、先にタイトルや歌詞のテーマが決まっていたのではなく、後付けでタイトルが決まったタイプなのでは、となる。つまり、このサウンドは、必ずしもヘッセの「荒野のおおかみ」をイメージして作られた訳でもなく、かといって本当に全く関連していないかといえばそれもそこまでじゃない、という程度の連想度で彩られている。前に私は、この曲を愛でるにあたってヘッセの小説を読む必要はない、と書いたのにはそういう背景もある。読む前と読んだあとで『荒野の狼』に対する理解度はさして変わらない。必要な事はきっちり歌詞に入っている。


恐らく、最も単純な解説は、「歌詞に合わせてサウンドが構成された」というものである。東京五輪エムブレム問題をディスってるのかな?という感じのヴァースと、センシティヴでロマンチックなブリッジからコーラスへの流れの歌詞的な対比が、あのスカスカのタテノリサウンドと、ストリングスをフィーチャーした壮大なサウンドの基礎になっていて、その両者を繋げるのが今までにない(珍しい)ホーン・セクションだ、というのが標準的解釈になるだろうか。その二面性がヘッセの「荒野のおおかみ」を連想させた、と。この場合の「荒野のおおかみ」は“飼い慣らされていない野生”の比喩程度に捉えておけばよいか。小説の本質云々より、言葉の響きと、キャッチフレーズとしてのフックのよさで採用されたように思われる。そもそもキッカケなりくんだし。

それはそれでいいとして。であったとしても、それでもこのサウンドの組み合わせは違和感を感じるというか、もう少し突っ込んで探ってみたいという気になる。次回もこの話の続きかな。