無意識日記々

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稚児しや稚児しや

何だかややこしくなってきたので一度整理してみよう。日本語と英語と名義の関係である。

1. 基本、もう日本語曲しか歌わない。従って名義は宇多田ヒカルで、海外では現在の輸出9ヶ国を基本にしてそこから増やしていく程度。

2. 日本語曲を主体としたアルバムと英語曲を主体としたアルバムを交互に作る。日本語アルバムでは以前通り宇多田ヒカル名義で、英語アルバムでは何か他の名義を使用する。つまり、例えばHikaru Utada名義だとすれば、その日本国内盤の表記も"宇多田ヒカル"ではなく"Hikaru Utada"になる。

3. 日本語アルバムと英語アルバムを交互に作る。ここまでは2.と同じ。しかし、名義を統一する。例えば"Utada Hikaru"。全世界総てこの表記で貫く。したがって、日本語アルバムと英語が1枚ずつ交互に出るとすればUtada Hikaruの1stアルバムは日本語盤、2ndアルバムは英語盤、3rdは日本語盤、4thは英語盤、という風に通しで作品が数えられる事になる。日本語盤の発売区域はまずは今の10ヶ国、英語盤の発売区域は全世界、という風に一枚ずつプロモーション領域が変わるかもしれない。

4. 日本語曲も英語曲も常に混ざったアルバムを作り続ける。名義は宇多田ヒカルで統一する。といっても海外では必然的にHikaru Utadaになってしまうけれども。

5. 日本語曲も英語曲も常に混ざったアルバムを作り続ける。ここまで4.と同じ。名義をUtada Hikaruに統一する。日本で売る場合も表記は"宇多田ヒカル"ではなく"Utada Hikaru"。音は同じなので呼び方には困らない。

6. 英語盤しか作らない。従ってアーティスト名はUtada Hikaruさえあれば事足りる。


こんなところだろうか。ますますややこしくなってき。た(汗)

1.と6.に関しては論理的可能性として挙げただけで実際には有り得ないと考えてよいだろう。EMIとワールドワイド契約を結んだのに英語曲をリリースしないとは考えられないし、光が日本語で歌を作るのをやめるのも考えられない。こちらも契約が残っているし。

となると、考えるべきなのは、日本語盤と英語盤を別々に出すのか、その場合名義は統一するのかしないのか、或いは名義を基本的に一本化して混合盤を出すのか、といった諸々の観点だろう。

今までの傾向からすれば当然、日本語盤と英語盤に分けて制作するというのが妥当だろう。しかし、それを光が意識した途端、日本語は日本語の特質を重視した曲になるし、英語盤もまた然りである。たぶん、英語盤を出すアテのない状態で日本語盤を制作すれば、自然に日本語詞の中に英語詞が挟み込まれていくかもしれない。全編縦書きの"光"みたいな曲は生まれ難くなっていくかもしれない。

ここでプロデューサーの立場になって考えてみる。さて、どちらが日本で売れるか。"宇多田ヒカル"のイメージとして、実は英語混じりの日本語曲の方がカッコよくて売れはしないか。いやいややはりそこは国民的歌手、できれば余計な英語は出来るだけ排して、皆が口遊めるような基本日本語オンリーの歌詞を作るべきなのか。それとも、そんな事気にせずに自然な流れに任せるか。

難しい。いったいどうすればいいのやら。EMIは、果たしてUtada Hikaruをどこまで売りにいくつもりか。それが見えない事には、話はおさまりそうもない。

なお、付け加えておくと、次に英語盤を制作したとしても"UTADA"名義は使えないかもしれない。前のレコード会社が名称の使用権利を持っているかもしれないからだ。