無意識日記々

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Angels In Time Flight

―いかん、after the battleに聞き入ってしまい筆が進まない。兎に角美しい曲だ。

この曲の気に入っている所は、やはり「呼吸」である。前半のヒカルの独唱はもちろん、それに呼応して鳴り渡るピアノの清澄な響きも、まるで朝の澄んだ空気を目一杯吸い込んで吐き出したかのような清々しさに満ちている。

そして後半、原始的なドラムの鼓動を軸に、ヒカルの曲にしては珍しくよく動くベース、そして低音を蠢くような第2(シンセ)ベース、左右に飛び交う様々なSE、どれも生き物のように互いに呼び合い答え合う。そして全体の呼吸を整えコンダクターのようにタイミングを見計らって嘶く光り輝くエレクトリックギターの響き。幾度聴いても完璧である。どの音も必然性に満ちている。名曲としての"格"みたいなもんは、Single Versionよりこちらだろう。全く以て売れそうな音ではないが、ゲームをクリアした人の労を労うにはちょうどいい。

あれま、この曲の話をしようと思ってたんじゃないんだけどな。まぁいいか。ヒカルが、ここまで本当にロックなアレンジを施した曲は他にない。ドラマのようにエレクトリックギターがフィーチャされた曲もあるし、嘘愛みたいなデジロックもある。そして正統派ハードロックなShow Me Loveは何といっても強力である。

しかし、それらはどれも私にとってロックの根源的な話ではない。ただのエレクトリックサウンドではなく、ひとつひとつの音が、一人々々の出す音が生き物としての独立性をもって動いている事が重要だ。それだけではジャズとの区別がつかないが、そこに構造と様式を持ち込み文学的な幻想美を添加する所まで行って初めて、他のジャンルにはない、ロックならではの領域に到達する。クラシックでもジャズでもソウルでも到達できない聖域、Sanctuaryにその情熱を以て辿り着いたのがPassionなのだ。

不思議なのは、この有機的な、複数の音が各々生命として響き合う正真正銘"ロックな"サウンドが、ひとりのシンガーソングライターから生まれた事だ。本来それぞれのエゴイズムをぶつけ合ってその緊張感が人を新しいレヴェルに押し上げるのがロックの醍醐味なのだが、たったひとりの人間がこんなにも複数の生命を生み出し、"演じる"事ができるのだろうか。

それこそが、このPassionの歌詞のテーマだ。ここには1歳の私も22歳の私も42歳の私も居る―ヒカルはこの曲の発売登場そう語っているが、それどころか老若男女の総てに"なって"、総てを相対化して総ての音を鳴らしているように思える。ヒカルは、ひとりでありながら、それはまるで幼き日に人形で遊んでいたのと同じように、それぞれの音に"なって"、Passionを奏でていたのだ。彼女は、時を超え、こうと決まってしまった運命をも乗り越えて、可能性としての無限の生命たちと、Passionの為に"バンドを結成"したのだ。ひとりなのにひとりではない、生命としての聖域から導いたスピリチュアリティによって、この楽曲は成り立っている。after the battleの透明感は、その聖域の景色を、我々によりわかりやすく見せてくれている。