明日はイカ娘とゆるゆりのDVD/Blurayの発売日だ。既に実績十分の2作品だけに、今回もきっちり売上を記録するだろう。イカ娘は現在第2期、ゆるゆりも週末に第2期制作決定と、テレビ東京はこの2作品をTBSの水戸黄門と大岡越前の如くかわりばんこに放送していけばいいんじゃないかと思う位だ。いや私が両方気に入ってるってだけですけどね。
目を引くのは、こういった「なんでもない日常」を描いたアニメのセルビデオが売れているという点だ。EVAのような重厚かつ壮大な作品ならコレクションとして手元に置いておきたいと思うのはわかるが、何気なく見かけたら和む、という程度のこういった作品に"熱心なファン"がつくのは面白い。
宇多田ヒカルの歌が日常に根付いている、という時リスナーは歌に何を求めているのだろうか。1日10万回。ヒカルの歌声を聴いて皆どんな感情になっているのか。ヒカルの歌声はクリスマスケーキのように特別なのか、ご飯と味噌汁のように毎日当然のように摂取する対象なのだろうか。
宇多田は今動いていない。曲を聴くことで誰かの人生が大きく動くこともない。参加するイベントがある訳でもない。もっといえば、歌が齎してくれる以上のものは齎さない。+αがゼロ。それでも耳を傾ける。日々の生活にヒカルの歌声が根付いている。
それが与えるのは特別な深い感動なのか、さりげない鼻歌なのか。十人十色千差万別といってしまえばそれまでだが、イカ娘やゆるゆりのようにゆるく締まりのない作品でもそれに執心する層ができる。
ヒカルが30代を迎えた時、どういった路線になっているのか。大仰で豪奢な、スケールの大きなサウンドになっていくのか、素朴でさり気ない、しかし味わい深い歌を唄うようになるのか。ひとつ言いたいのは、そんなに派手に人を感動・感涙させなくても、ちらっと聴いてささやかに和める、それだけの事でも人は熱心についてくるという事である。力まずに、ただこの日常を淡々と過ごす。その中で生まれる歌。それもまた大切にされていくのだ。
ヒカルの歌には大きな感動を呼ぶタイプの曲が多い。First LoveやFINAL DISTANCEを生で聴いて号泣した人手を挙げよう。沢山居るんじゃないかな。でも、ヒカルがULTRA BLUEでいちばん好きな歌はいちばん地味な日曜の朝だし、HEART STATIONでは勿論、いちばんちんまりとしたあのぼくはくまなのだ。作曲者が、あれだけ大きな感動を与える楽曲群の中から、いちばんさり気ない曲を選ぶ。そこら辺も、ちょっと頭にある。
何でもない日常がいちばん尊い。陳腐過ぎる結論だが、それを描けた歌が、いつかいちばん熱心なファンを耕していく気がする。ぼくはくまはその象徴だが、ヒカルが復帰した暁には、この歌を何らかの意味で超える歌が生まれるのだろうか。それは、僕らみんなが、ヒカルの歌と共にこの日常を淡々と生き残っていかなければ、耳にする事はできないだろう。生きてるっていちばん大切なのです。