無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

益体の無い逡巡

新製品の解禁情報というのはデリケートなものだ。それがビックプロダクツであればあるほど解禁日には敏感にならざるを得ない。今やネット時代、しかもグローバルなので解禁アクションは日付単位どころか一時間単位いや分単位で管理されねばならない。時差を考慮しつつ、何年何月何日の何時に各地それぞれの時刻で一斉にプレスリリースが流される、なんていう感じである。

私は門外漢なのでおおざっぱな事しかわからないが、新製品がその企業の命運をかけたものだったりすると、情報解禁は株価にまで影響してくる。こちらもネット時代なので時々刻々と情勢が変わる世界。いやまぁネットが普及する前からだけどね。そこでは意図的なリークやらインサイダーやら種々の技術がスレスレの所で用いられている。情報の解禁は、そういった所に時に微細に時に大胆に影響を及ぼす。その精度をもって「市場は正直だ」と言われるようになるのである。

込み入った事情とは裏腹に、単なる意志の疎通の欠如や勘違い思い違い行き違いなどで情報解禁が行われてしまうケースもままある。「あれ?まだ言っちゃダメだったの?」という具合。のんびりしたものだなぁとビジネスマンの皆さんは思うかもしれないが、他の事にかかりきりでチェックを怠ってしまった、というのが本当の所ではないだろうか。みんな忙しいのだ。いや同情してるのかというとそうでもないけれど。

情報解禁とはまた別に、コンテンツ自体のリークもまた問題である。未完成のデモテープが物理的に流出したりマスターテープが盗難にあったりそれを元に脅迫(身の代金要求)されたりといつの時代もあった事なのだが、今や音源の盗難はコピーの容易さからぐんと難易度が下がった。ヒカルもその被害に遭った事があるようなないような。真相は不明ですが。

2004年3月のシンコレ発売も、最初に匂わせたのは発売半年前に発表されたEMIのプレスリリースだった。先程も触れたようにプレスリリースは株価にも影響を与える。株主たちが、今後もその企業に投資するべきかどうか、コンテンツの市場価値で見定める必要がある。したがって企業側は今後収益の見込めそうなコンテンツはこれだけありますよとプレゼンテーションをして投資家たちからの好印象を貰わなければいけない。即ちそこに名を連ねたという事は、少なくとも2003年当時はHikaru Utadaの名は、日本国内のみならず世界規模企業としてのEMI Groupの業績を左右する位のビッグネームであったという事だ。

今、Hikaru Utadaの名にどれ位の市場価値があるか、またEMIがそれをどの程度に見積もっているか、私にはわからない。しかし、少なくとも何年か前にそういう扱いを受けていたというだけでも、その点については注意を払わなければならないだろう。光自身も、それについてはよくよく自覚している筈だ。たとえ人間活動中で業界の空気から随分と離れた所で暮らしているとしても、ね。

何の話をしているんだか。やれやれ。