無意識日記々

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No Money,Not Money,いつのまに?

ミュージシャンはお金じゃない、と言ってそれを体現出来るのはヒカルの場合、それでも圧倒的に売れているからだ。50万枚近く売っておきながら「さっぱり売れなくなったねぇ」と呟かれるのだから大したものである。

とはいえ、今やCD売上に基づいたランキングチャートはほぼ意味を為さなくなっている。何故動員数チャートがフィーチャされないか不思議な位、今や人気のバロメータはLIVEコンサートに軸足が移った。

米国のビルボードでは最近2つの動きがあった。ひとつは、あるアルバムのダウンロード販売で極端なディスカウントが期間限定で行われ、その週だけランキングの上位に名を連ねるという現象が起こった事。もうひとつは、チケットのおまけでアルバムをつける、という事でランキングの上位に顔を出す作品が現れた事。後者を仕掛けたのがUtaDAもお世話になったLIVE NATIONである。

結局、こういう事が起こるのも、音源とその流通の価格が(もしかしたら価値も)劇的に下がった事、及びミュージシャンがあげる収益がLIVE中心になったからだ。儲かるのはそっち、という身も蓋もない現実である。

こうなってくると生粋のアルバム・アーティストである宇多田ヒカルは厳しい。なんとなく、立ち位置が曖昧になってくる。Mr.ChildrenPerfumeであれば元々LIVEが売りのスタンスだからCDの売上が落ちても(いや彼らは売れてますけどね)そこまで痛くはないが、ヒカルの場合は違う。

で、だ。となると照實さんが何をどう考え始めるか、である。ミュージシャンはお金じゃない、を地で行く人。スタジオ代の為に車を売った夫婦の夫の方である。お金じゃない、というか経済観念破綻の領域かもしれないが、そこまで"音楽自体"にこだわってきたからこそヒカルの本格的クォリティーは培われた。自分の娘がちょっと歌が上手いからと金儲けに走っていたらこんなことにはなっていなかっただろう。結果史上稀に見るお金儲けができたのだから人生わからない。

つまり、照實さんからすれば、世間の商業音楽の軸足がLIVEコンサートに移っていっててもそんなに気にはしないんじゃないかという事だ。スタジオワークに手を抜くとか予算削減するとか毛頭考えられない。そして、歴史は繰り返すというか、そんな世間の荒波をものともせず今までどおりクォリティー最優先で生きていけば、またここにお金が転がり込んでくるんじゃなかろうか。なんだかそれが楽しみなのである。ドッグイヤーな進歩を遂げる昨今、PHSBlackberryを使った光の歌詞もどんどん古びていくが(色褪せはしないけど)、そんな中で終始「ミュージシャンは金じゃない」を地でいく照實さんが光復帰後にどんな判断を積み重ねていくのか。最初は傍から見てて「時代とズレてるなぁ」と思えても、どうなることやら。あとの心配は、U3が有名になりすぎてU2から苦情が来ないかどうかだけである。んなこたないか。