無意識日記々

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『光』から『誰にも言わない』へ

前に『誰にも言わない』の魅力が多くの人には伝わっていない、とは言ったものの、それは別にこの曲が難解だとか表現力不足だとかいうことではない。どちらかといえば、こういうこと、こういうフィーリングに価値を見出すか見出さないかという所がポイントであるように思える。

「『Time』は音楽的な面で宇多田ヒカルの個性が出ていて、『誰にも言わない』は、宇多田ヒカルという“人間”そのものを感じ取れるという点で個性的だ(独自性がある)。」てな事も書いたわね。ここらへん、少し歴史を紐解いておこうか。

といっても、1曲持ち出せばいいだけなんだが。『光』だ。この曲は、2002年当時それまでの宇多田ヒカルの音楽性にはないタイプの楽曲として発表された。バイリンガルのイメージから掛け離れたタ漢字一字の曲名だし、シングルCDのブックレットは縦書きで故に右開きだった。何より、こういう風に弾けるように明るく輝く曲調がそれまでにあまり無かった(その示唆は『DISTANCE』にあったとはいえるが)。なので、音楽的にヒカルを追いかけていた人たちは結構戸惑っていたりしていたのだが、私のようにアイドルとして見ていた人間は「漸くヒカルがヒカルのヒカルらしさを音楽で表現出来る(する)ようになったか」と喜んだのだ。実際、この曲以降、人としての宇多田ヒカルが好きでファンになりましたという人が増えた気がする。統計は無く単なる印象の話だが。

『誰にも言わない』は、その、『光』から続く人としての宇多田ヒカルらしさを音楽で表現する路線の最新版且つ最高到達点に在る、というのが私の見方だ。ある意味それは、『光』のリリースあたりからファン層が変わったのと同じように、変革の結節点になっているのかもしれない。将来振り返った時にならないとわからないことだけど。

ただ、『光』はかなりヒットしたのだ。オリコンシングルランキング三週連続No.1で年間ランキングでも第10位だ。なお2002年は更に6位に『SAKURAドロップス/LETTERS』が入り2位には『traveling』があった。完全に無双状態だった。なお1位は浜崎あゆみのEP「H」、3位は元ちとせの「ワダツミの木」だった。懐かしいね。売上枚数の絶対値ではなく、市場における相対的な関係性という視点で見た時に最も宇多田ヒカルの売上・浸透圧が際立っていたのはこの(2001年末から)2002年という事になると思われる。

という状況だったので『光』が新たなファン層を開拓する大きなきっかけにもなり得た。まぁそこで離れたファンも多かったのかもしれないがね。次の『SAKURAドロップス/Letters』が音楽的に宇多田ヒカルへの期待に完璧に応える曲調だったので、多分そこまでファンは減ってないかとも思うけど。兎に角、『光』は、ゲームのテーマソングだし、ちょっとした例外みたいなイメージを持たれていたかもしれない。

だが『誰にも言わない』は、そもそも曲として知られていないのではないだろうか。TVCMでどれくらいの頻度で流れていたのか私は把握出来ていないのだけれど、たとえ流れていたとしても、そんなに人々を振り向かせるタイプのメロディじゃなかった気がする。なんとなく流れてたかな〜というような。

だけど、人として宇多田ヒカルが好きな人にとっては、「ここまで自分自身らしさを音楽に託せるようになったのねぇ」という作品て。そして困ったことに、それはサウンドのイメージの話で具体的な歌詞は別にらしさが出てる訳じゃないのよね。いや、クォリティが高いという意味では如何にも宇多田ヒカルの作品なんだけど、じゃあここに描かれてるのが宇多田光氏の私生活なのかと言われたら、いやぁ、それはどっちでもいいんじゃないかなと歯切れの悪い返し方をするしかなくなる。本当に結構感覚的な話なのだこれ。

……うん、なかなか伝わらないもんだねっ! そりゃあ『誰にも言わない』がヒットしない訳だよ。そこだけは妙に筋が通っちゃってて、本当に困ったものだわ……。