無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

厳格という幻覚

ずーっとこうやって追い掛けていると、彼女を中心に回ってない宇宙ってどんな眺めなんだろう?と思う事がある。あの、なんだか話題になってるね〜、と完全に他人事として耳にする宇多田ヒカルの名、というのがどんな感触なのか想像がつかないのだ。

これは、光本人にも言えてた事かもしれない。余りに人生で"宇多田ヒカル"にエネルギーを注ぎ込み過ぎて、その看板のない、或いは遠くの方に眺める"普通の"人生がどんなのか"忘れて"いたかもしれない。

人間活動に入り、看板の重さから解放されて―いるのだろうか? 場所によるだろう。それはそうだ。いやでもそれ以上に、光自身が、どんな"オフ"であっても、この看板から離れたいだろうか? 確かに、彼女にとって"宇多田ヒカル"というのは仕事であり、変な言い方になるが"役職"みたいなもんである。社長とか部長とか国家公務員とかお母さんとかお母さんとか調理師とか詐欺師とかの"社会的役割"である。だが、ここまで長い間この"役職"に馴染んできていて、今のように看板と何も関係のない所で暮らしている(と私は思いたい)場合、時々寂しくなりはしないだろうか。

仕事人間が定年を迎え、毎日何をすればいいのかわからなくて茫然としてしまう、という話をよくきく。ニコチンよりアルコールより、最も強力な中毒作用があるのが仕事、労働である。光は12年間ヒカルかUtaDAとして過ごしてきた。その"慣性"みたいなものがカラダに残ってはいないだろうか。

この間ピアノ音源(IvoryII)のインストール話があった。これをもって仕事への意欲みたいなもの、或いはそのガス抜きみたいなものと捉える向きもあるかもしれない。これは、本当にわからない。私が思うのは、光にとって音楽は呼吸みたいなもので、仕事以前に彼女の生きていく上で最も自然な営みのひとつだと捉えているから(他には、例えば読書)、あまりあのツイートに何かの変化を感じとることはなかった。

寧ろ、今光に看板の重さ、仕事の感覚を思い出させるものは、ツイッターだと思う。67万フォロワーともなると、毎日必ずメンションがある(@utadahikaru付きツイートのことね)。その"話し掛け方"は看板の方に話し掛けている人から宇多田光の方に話し掛けている人まで、様々なグラデーションがあるが、概して、つまり全体像としてみればやっぱり"宇多田ヒカル"へのメッセージになっていると思う。

当初は、人間活動に入るならこの"宇多田ヒカル"という看板から完全に離れる方がいいと思っていた。しかし、この"役職"にある種の中毒性なり魅力なりを光が普遍的に感じているのなら、こうしてたまにツイートしに来てどんな具合だったか確かめるのもいいかもしれない。15歳から12年間、という長さは、やはり看板を"身につけて"しまうには十分な長さだったと思われる。ふと、7歳の時に呼んだ釈迦の伝記で、彼が悟りを拓く為に従者たちと共に一日米一粒胡麻一粒の食事のみという極限に律せられた毎日を過ごしていく中で、従者たちからの猛反対にも拘わらず勧められるままに牛乳を飲み干したエピソードを思い出した。結局悟りは開けるのである。牛乳は別に飲んでよかったのだ。そこまで突き詰めなくても目的は成就される。そういう力加減の方が、光には合ってるんじゃないかな。