無意識日記々

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『音を見る』

ウォークマンの登場以来、いやさポケットラジオやカーラジオ等の登場以来、音楽を「ながら聴き」する人が増えた。というか生まれた。車を運転しながら、お皿を洗いながら、洗濯物を干しながら等々…何か他の事をしている時のBGMとして音楽を聴く人が圧倒的大多数だろう。今夜もどこかで『先読みのし過ぎなんて意味のないことをやめて今日は美味しいものを食べた〜よ〜♪』と歌いながらお皿を洗っている人が何百何千と居る。いやこの場合プレイヤーのスイッチが入ってるとは限らないけれど。まぁ音楽との親しみ方ってそんなもんだ。

しかし、その手軽さと自由さ故に音楽はコンテンツとして今軽んじられている。例えばゲームなんかだと目と耳と指の感覚を総動員して対峙するもんだから他の事なんかできやしない。せいぜいポーズボタンを押して合間にポテトチップスとコーラを呷るくらいだろう。油でべとついたコントローラー等の処遇は知らないが。やっぱり、視覚を何とかしなければ、ゲームやアニメなどの総合的コンテンツとは勝負にならない。あたしゃここで何度もそう言ってきた。

が、私個人は音楽というコンテンツに視覚的要素をどうしても添付したいと思っているかといえば、実はそんな事はない。普段あーだこーだ言ってるのは市場的価値の話であって、あたしゃ別にそれとは関係なく音楽を楽しんでいる。

あたしゃなんでそういう風にしていられるのだろう、と自省してみた。ながら聴きでなく音楽を聴いている時は、大抵イヤフォンやヘッドフォンをして目を閉じて音楽を聴いている。ふむ、周りからみれば「音に耳を澄まして集中してるんだな〜」という風に映る。が、私は、目は瞑っているものの"音に集中しよう"とは殆ど思っていない。というか集中力というのが元来あんまりない。もっとリラックスしている。それで音楽を楽しんでいる。どういうことか。

どうやら私は、目を瞑っている時に、耳を澄ましているというよりは、閉じた瞼の裏の目で音楽を"見て"いるらしいのだ。演奏の最中に何か新しい楽器が切り込んできた時、確かに何となく目をそっちの方に向けている感覚がある。"目を閉じて視覚情報を遮断して耳から入ってくる情報に集中している"というより、"瞼の裏のスクリーンに映る音を見ている"感覚なのである。もしかしたら、人によってはこういう風に音楽と接するにはコツが要るかもしれない。私の場合、「"目の前に""音がある"」という捉え方が出来るのは、普段からそうして…いや、そうなっているだけだから。が、人によってはまたいい助言となるかもしれない。私はどちらかといえばのび太くんなのでただ目を閉じただけでは3、2、1で眠ってしまう方なのだが、同じ目を閉じた状態でもそうやって音を見ている時は特に眠くならない。もっとも、そうやって"目をこらして音楽を見て"いてもその音がつまらなければ"そっぽを向いて"
しまう事もしばしばなのだが…

…で、こういう"音を見る"感覚でヒカルとUtadaの楽曲に触れるとね…という話からまた次回。