無意識日記々

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くま【隈/曲/阿】2

くま【隈/曲/阿】の話なんかしたって何の意味もない。それはわかっている。しかし、光とKuma Changの関係を把握したいという切望は私の中から消え去る事はない。あそこまで光に溺愛される理由とは何なのか。それを知る為の端緒が欲しいというだけだ。

目の下の隅とクマをかける人は沢山居たが、では、光とくまちゃんを"光と陰"の関係で見つめ直してみた文脈はあったかというと私は知らない。ちょっと、それで行ってみようと思う。

前回触れたように、隅のカゲは影より陰に近い。つまりクマは光のカタチをしていない。確かに、ヒカルとクマチャンの性格って別に正反対とかではない。クマチャンはこどもっぽく幼い面もあるが、それが光の幼少時と較べて真逆の性格だった、つまりくまちゃんは光が「小さい頃こんな風に過ごしてみたかった」という願望の投影(ここでも"影"だな)なのかというと、そういう側面もあるかもね、という程度の事でしかない。くまちゃんは随分、光の性格から独立している。

「陰」というのは、光の届いていない部分だ。そこが"クマ"だと言うのなら、クマチャンは光の手の届かない所に居るのだろうか? いや、あんなに毛並みが愛される程に抱きしめられ密着している。手が届く、というのは重要なファクターだ。それはない。

読者の中には、光の溺愛ぶりを冗談か何かのように受け止めている人も…居ないか。彼女は至って本気だ。ただの腹が綿なぬいぐるみに対し、なんだろう、ほんきで守ろうとしているように思う。そりゃ飛行機のチケットを取るだなんて造作もない。当然の事だわな。

光が陰を抱き締める、ってどういう事だろう。光はその性質上、当たる所全てを明るく照らし出してしまう。もし、そうならない存在が居たとしたら? 光は世界を満たせない。満たし切れる事はない。その証明が「くま」なら、光にとってこれ以上の救いはなかったかもしれない。そう解釈するのはやや性急過ぎるかな。7年前の話です。