無意識日記々

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"n t" "nd"

『開いたばかりの花が散るのを
今年も早いねと残念そうに
見ていたあなたはとてもきれいだった』


2行目と3行目の子音をもう一度並べてみる。
「KTSMHY/NT ZNNNS/N」
「MT/T/NTW TTM KR/D/T」
少しずれた位置にNTの2文字が見える筈だ。これらはそれぞれ、"はやいねと"の「ねと」、"あなたは"の「なた」である。同じメロディーの中で同じ母音、或いは同じ子音の並びを拍や節をずらしながら進む手法をヒカルが多用するのは一年前にキプトラで解説した通りだが、ここでは皿に工夫が凝らされている。次の4行目、5行目も見てみよう。

『見れたならどう思うでしょう
あなたなしで生きてる私を』

"みれたなら"と"あなたなし"の3文字目4文字目即ち「たな」が韻を踏んでいるのは明らかだ。この子音の並びはTN、2行目と3行目の韻NTとは順序を逆転させている。更によくみれば5行目の"あなたなら"の真ん中3文字の子音はNTN、2行目3行目のNTと4行目のTNをそのまま繋げた形になっている。

つまり、この2〜5行目では、
2行目でNTの韻を提示し、
3行目でNTの拍をずらし、
4行目でNTの順序を逆転させTNにし、
5行目でNTとTNを合わせてNTNの音を形成する、
という起承転結構造が成立しているのだ。特に、"転"部で"順序逆転"というのがなかなかに粋である。

なぜここまでNTの音にこだわったのか。その答は更にこの先に潜ませてある。

『Everybody finds love
Everybody finds love
In the end in the end』

ぱっと見では、そのこだわりの源は判り難いかもしれない。よく見てみよう、しっかりと"NT"の音が隠されている。"in the end"の"in the"の「i(n t)he end」、この「(n t)」である。そして、tと濁音の関係にあるのがdの音だという事に気がつけば最後の"end"の「nd」もまた、NTの並びと相似である事は明らかだろう。

日本人はどうしても、Nの音は「ん」だと思いがちだが、英語ネイティヴなヒカルにとってはこれは歴とした"な行の子音部"である。勿論歌の上でも日本語の"ん"ではなく"N"の発音で歌っている。起承転結から引き継いだ韻の結実として、この「In the end」を聞き直してみるとより味わいも増すというものだ特に最後の「nd」の歌い方は絶品ですぜ、奥さん。