無意識日記々

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ぶのいいはなし

『あなたがまもったまちのどこかで
 きょうもひびくすこやかなうぶごえを
 きけたならきっとよろこぶでしょう
 わたしたちのつづきのあしおと』

ひとつ指摘していなかった。「うぶごえを」と「よろこぶでしょう」の話。桜流しの歌詞でバ行の音Bは出現頻度が少ない。他には「ひらいたばかりの」の「ば」、「きょうもひびく」の「び」、「Everybody」の「bo」位だろうか。この中でも上記の「うぶごえを」と「よろこぶでしょう」は対応が明確だ。それをみてみよう。

例によって母音表示をしてみる。「ううおえお」と「おおおうえおお」になる。更にこれを恣意的に分けて書くと次のようになる。
「うう・おえお」
「おお・おうえおお」
大体ご覧の通りである。この歌お馴染みの連続同母音(「うう」「おお」)を冠に掲げ、次に「お」が来て「え」或いは「うえ」を挟んだ後それぞれ「お」の音で文節を締めている。全く同じ構造という訳ではないが、似通った母音配置であるとはいえるだろう。

例えば。「うぶごえ」は他の言葉でもよかった筈だ。歌詞の書き方によっては「新しい泣き声」とかでも十分意味が通じた筈である。それを「うぶごえ」にしたのは、ひとつには上記のような音韻構造を意図していたから、という見方もできる。

或いは逆に、「うぶごえを」の一節を入れたかったが為に「よろこぶでしょう」を配した、とみる事もできる。実際、この場所に「よろこぶ」という述語をもってくるのは文法上少々怪しい事態である。というのも、この場合に日本語に於いては当然在って然るべきな主語「あなたは」が歌詞の何処にもないからだ。

勿論、聴き手は「よろこぶ」のは誰か一聴して立ちどころに理解する。しかし、初めて聴いた時はほんの一瞬だけ戸惑ったかもしれない。その戸惑いの原因が、実はこの「うぶごえを」の一節なのかもしれない訳だ。

主語のない状態でも、例えば「よろこんでもらえる」にすれば、違和感はぐっと減る。この場合省略されるのは「あなたに」なのだが、「あなたは」が略されるよりずっとよい。それでも「よろこぶでしょう」にしたのはひとえに「うぶごえ」の「ぶ」と音を合わせる為だ。「よろこんでもらえる」では「ぶ」の音がないのだから。

はてさて真相はどこにあるか。たとえそれがわからないにしても、ヒカルの頭の中をこうやって思い巡らすのは楽しいものである。